サッカー日本代表が韓国にまったく勝てなかった時代 「東大門運動場」での戦いの歴史 (2ページ目)
【韓国と11戦して2分9敗】
1972年に始まった日韓定期戦でも、戦いの舞台は東京の国立競技場とソウル運動場だった。そして、1970年代を通じて日本は韓国に対して劣勢が続いていた。
日本が初めてアウェーで韓国に勝ったのは1984年の定期戦、新設された蚕室(チャムシル)五輪主競技場のこけら落としとして行なわれた試合だった(ただし、韓国は若手主体)。
つまり、日本はソウル運動場で韓国と11試合戦って1勝もできなかったのだ(2分9敗)。ソウル運動場は日本にとって「韓国に勝てない時代」を象徴する屈辱のスタジアムだったということになる。
僕が初めて韓日戦を観戦に行った1982年の定期戦もやはりソウル運動場で行なわれ、0対3の完敗に終わっている。
ソウル運動場は1986年のアジア大会や1988年のソウル五輪を前に大規模改修され、名称も東大門運動場に変更された。
東大門運動場は韓国スポーツ界の「聖地」的存在であり、1982年3月には新しくスタートした韓国プロ野球の開幕戦がソウル運動場野球場で行なわれ、翌1983年5月にはプロサッカーリーグ(現在のKリーグ)の開幕戦、ハレルヤ対油公(ユゴン)の試合がソウル運動場で行なわれた。
しかし、ソウル五輪開催のためにソウル市内を流れる漢江(ハンガン)の南の蚕室に五輪主競技場が完成し、さらに2002年W杯を前にソウル西部にW杯競技場が建設されると、東大門運動場でサッカーの代表戦は行なわれなくなり、東大門運動場は2008年に取り壊された。
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