サッカー日本代表の固定メンバーに嫌な既視感 史上最強の「黄金世代」はW杯本大会で散った (2ページ目)
【皆無に近かった新戦力】
5試合先発:宮本恒靖、中澤佑二、福西崇史
4試合先発:田中誠
3試合先発:川口能活、中田英寿、加地亮、小笠原満男、鈴木隆行、中村俊輔
2試合先発:楢崎正剛、柳沢敦、高原直泰、玉田圭司
1試合先発:三浦淳宏、稲本潤一、遠藤保仁、小野伸二、中田浩二、三都主アレサンドロ
ボランチであれば、福西、中田英、遠藤、稲本、FWであれば鈴木、柳沢、高原、玉田といった具合である。
その結果、出場機会が多少分散されることになったのだが、そうでなければ、もっとメンバーは限定されていたに違いない。
しかも、3試合以上に先発出場した10人を見てみると、うち6人が前回2002年ワールドカップの登録メンバー。そうではなかった中澤、中村にしても、最終候補には残っていた選手なのだから、本当の意味で2002年後に登用されたと言える選手は、田中と加地くらいのものだった。
この傾向は、最終予選5試合に1、2試合のみ先発出場した10人を加えても変わりはなく、2002年当時のワールドカップメンバー、あるいはその候補でもなかったのは、玉田だけ。その他では、最終予選のスーパーサブとして名をはせた大黒将志がいるくらいだ。
最終予選に先発出場した全20選手+大黒のうち、最終的に2006年ワールドカップの登録メンバーから漏れたのは、三浦淳宏、鈴木のふたりだけだったのだから、いかにメンバーが固定されたまま本大会まで行きついたかがうかがえる(田中は一度選出された後、ケガのため離脱)。
特別な才能を持った選手が揃った世代であり、力のある選手が順当に選ばれただけ。その他の選手とは力の差があったのだから、仕方がない。そんな見方も可能なのかもしれない。
だが、史上最強と称され、最近の日本代表とは比べものにならないほどの巨大な注目と期待を集めたチームは、2006年のドイツでどんな成績を残したのか。
結局はグループステージ3試合で1勝も挙げることができず、1分け2敗の惨敗である。
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