サッカー日本代表GK大迫敬介がライバルを語る「生まれ持った身体能力を言い訳にしたくない」
W杯アジア最終予選・突破のカギを握る守護神
大迫敬介(サンフレッチェ広島)後編
◆大迫敬介・前編>>エリート守護神が味わった挫折「移籍しようとも考えた」
サンフレッチェ広島を率いていた森保一監督が解任されたのは2017年7月。その当時、大迫敬介は高校3年生で広島ユースに所属していた。ただ、高校1年生の時からトップチームのキャンプに参加していた大迫を、森保監督はずっと見守っていただろう。
広島を離れた2年後の2019年、森保監督は日本代表の指揮官として、当時19歳の大迫を初招集。さっそく代表デビューの機会を与え、同年は2試合に起用した。
しかしその後、東京オリンピックを目指すチームでは守護神の座を奪われ、ワールドカップ後に再びA代表に呼ばれるもケガなどで苦しみ、森保監督の期待に応えているとは言いがたい。
いよいよ9月から始まるワールドカップ・アジア最終予選。大迫はどんな思いで戦いに挑もうとしているのか。ライバルがひしめく日本代表でのポジション争いについても話を訊いた。
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大迫敬介は最終予選でどんな活躍を見せてくれるか photo by JFA/AFLOこの記事に関連する写真を見る── 日本代表について聞かせてください。コパ・アメリカでデビューしたのは19歳の時(2019年6月18日・チリ戦)でしたが、五輪代表も含めてここまで、日本代表ではなかなかチャンスを掴みきれてない印象があります。東京五輪ではメンバーに選ばれましたが、試合には出られませんでした。当時はどういう思いでしたか。
「もちろん試合に出られない悔しさはありましたけど、メダルを目指す戦いのなかで、チームとして一体感を持ってやるしかないですからね。出られない選手は僕だけではなかったですし、彼らとは、『俺らがどれだけ上を向いてやれるかが重要だ』という話をしていました。
だから、自分のことよりもチームのために、という思いを持って行動できていたと思います。ただ、期待してくれた方々にプレーする姿を見せられなかったという意味では、すごく悔しかったですね」
── 日本代表ではポジションを掴みかけてきたなかで、ケガにより今年のアジアカップに出場できませんでした。
「去年のシーズン途中に手首をケガしてしまって......。でも、痛み止めを飲みながらずっとプレーできていたので、アジアカップでもたぶんプレーできたとは思います。
ただ、100%でプレーできてない状態がずっと続いていたので、次のシーズンにも影響するぐらいだったら、ここは1回我慢してしっかりと治そうと。相当悩みましたけど、周りからの助言もあって、オフの間に手術することにしました」
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。