鮫島彩は2011年ワールドカップ優勝のなでしこジャパンの試合中に思った「なんでこんなに楽しいんだろう」 (3ページ目)
【フランスでは文化のギャップにやられた】
――ステップアップのひとつとして、2011年はボストン・ブレイカーズ(アメリカ)を含め、モンペリエHSC(フランス)と海外クラブを経験しました。
フランスは文化のギャップにやられましたね。でも、いちばん学びがあった時期でもありました。今まで日本でやってきたことを全部覆されたんです。例えばケガした時、日本ではそれを隠してプレーするのが美学みたいなところがあったじゃないですか。自主練すること自体が評価されたり。そういう文化のなかで育ってきていると、自分がやったことで自己満足するんです。それを否定するわけではないけど、結果に結びついてこそだから。
――努力をすることがよしとされる日本の流れがあって、無理をせずに引くこと、休むことでベストを出せばそれも正解。鮫島さんの姿勢はフランスでの経験があってのことだったんですね。
フランスでは、カバーリングに入ったら、「なんでカバーリングしてんの!」ってキレられるし(笑)。(宇津木)瑠美(当時モンペリエでチームメイト)と試合の前日に自主練でボール蹴っていたら、チームメイトに「明日、試合だぞ!(※コンディションを大事にという意味)」って胸倉掴まれたこともありました。日本だったら、練習せずに帰ったら怒られますよ。面白いですよね。でもそういう選手が試合で結果出すんですよ。
――その考え方は、鮫島さんのサッカーキャリアにすごく生かされていますよね。
そうなんです。ケガも減ったんですよ。でも日本人が暑い場所での世界大会とかでなんで体力が続くのか、頑張りきれるのかってなると、そういう環境でやってきているからタフさが身についていると思うんです。苦しい時でもがんばれるのは日本の強さ。だから「いいとこどりをしていけるな」って思いました。サッカーだけじゃなくて、今後の人生にも生かしていけることを学んだと思います。
(つづく)
(1)鮫島彩の高校時代の本音「3日に1回は辞めたい!って思ってた」>>
鮫島 彩
さめしま・あや/1987年6月16日生まれ。栃木県出身。常盤木学園高校から2006年に東京電力女子サッカー部マリーゼ入り。2011年からはボストン・ブレイカーズ(アメリカ)、モンペリエHSC(フランス)でプレーし、2012年に日本に戻ってベカルタ仙台レディースに入ると、INAC神戸レオネッサ、大宮アルディージャVENTUSとチームを変えて長くプレーを続け、2023-24シーズンをもって引退した。2008年よりなでしこジャパンに選ばれ、優勝した2011年を含め、女子W杯に3度出場。
著者プロフィール
早草紀子 (はやくさ・のりこ)
兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。
【写真】鮫島彩インタビューカット&今昔フォトギャラリー
3 / 3