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元ヤングなでしこ・田中陽子はなぜ韓国でプレー?「いつかプレーしたい国ではあった」昨季は国内で大逆転優勝を経験

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

仁川現代製鉄レッドエンジェルズ(韓国) 
田中陽子インタビュー 中編

若かりし頃から描いていた海外挑戦を、26歳で果たした田中陽子。サッカーだけでなく、その国の文化ごと吸収していくことが楽しいと現在進行形で話す。そんな彼女がスペインの次に選んだのは、意外にも日本に近い韓国だった。「常に現状と真逆の環境を選びがちだ」と言う彼女の挑戦について聞いた。

前編「田中陽子が振り返る20代 日本、スペインでのプレー」>>

仁川現代でプレーする田中陽子を韓国でインタビューした photo by Hayakusa Noriko仁川現代でプレーする田中陽子を韓国でインタビューした photo by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る

【いつかは韓国でプレーしたかった】

――スペインでは3年プレーしました。田中さん的には、また移籍の周期が訪れて韓国へ?

 そうなんですかね(笑)。期間を決めているわけじゃなくて、自分はすべてタイミングでここまで来ているんです。その際、常に"真逆"を選んでるとは感じます。INACとノジマもそうだし、ノジマとスペインもそう。

 それでいくと韓国は、日本とスペインの間って感じですね。意見がハッキリしていて、自由なところもあれば、上下関係があったり。サッカーってその国の文化が色濃く出る場合も多くて、そのつながりを見るのも楽しいです。今となっては、ひとつのところに留まることのほうがキツイかもしれません。

――なぜ韓国だったのでしょうか?

 いつかプレーしたい国ではあったんです。JFAアカデミー福島で同期だった吉見夏希選手が韓国でプレーしていて、環境がいいことは聞いていました。その後、田中明日菜選手、田中萌選手、櫻本尚子選手といった知り合いがたくさん渡って行って、冗談っぽく誘われてもいました。スポルティング・ウエルバにいた時に唯一知り合った日本人の知人が25年間韓国に住んでいたので、遊びでハングルを教えてもらったり、韓国料理を食べさせてもらったりしていて、韓国が身近な存在だったことも大きいかもしれません。

――そのタイミングでオファーが来たと。

 いや、まあそこには事情もあって(苦笑)。ウエルバの次に所属したラージョ・バジェカーノ・フェメニーノは未払いもあって大変だったんです。噂にはよく聞くけどまさか1部でそういう問題は起きないだろうと思ってたら、起きた(笑)。最終的に国際プロサッカー選手会(FIFPRO)に手伝ってもらって、なんとか解決って感じだったんですよ......。韓国では考えられない!

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著者プロフィール

  • 早草紀子

    早草紀子 (はやくさ・のりこ)

    兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。

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