W杯本番が間近に迫るドイツの地で、中田英寿が孤立。ジーコジャパン、そして田中誠に暗雲が立ち込める
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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第18回
W杯出場という夢を目前で逃した男の選択~田中誠(1)
この記事に関連する写真を見る W杯に出場できる選手は、各国23名に限られている(※2022年カタール大会の登録メンバーは26名)。過去のW杯に出場してきた日本代表メンバーも、国内外の激しい競争を経て、最後に生き残った選手だけがその椅子を勝ちとってきた。
しかしながら、その椅子は実力がある選手だからといって、得られるものではない。監督との折り合い、チーム編成の都合、ケガや病気などによって、悔し涙を流す選手も少なくない。
田中誠もそのひとりだ。2006年ドイツW杯に挑む日本代表メンバーに入っていたものの、開幕まであと数日というところでチームから離脱、W杯の舞台に立つことができなかった。
代表の主力であり、ジュビロ磐田の黄金期を支えていたセンターバックに何があったのか――。
田中が初めて日本代表に招集されたのは、フィリップ・トルシエが指揮官を務めていた時だった。
「(1996年の)アトランタ五輪に出場したあと、加茂(周)さんが率いる代表に呼ばれたんですけど、ケガで行けなかったんです。そこから全然声がかからなくなって、トルシエが監督だった時に呼ばれました。
そこでやれる自信はあったんですけど、ひとつ問題があって......。(自分は)性格的に引っ込み思案なところがあって、当時の代表には井原(正巳)さんや秋田(豊)さんがいたんですが、そういう上の人に気を遣ってしまうんです。同世代だと大丈夫なんですけど、(年上の)初対面の人は苦手なところがあって、代表でやっていけるか、馴染めるか、不安を感じていました」
その不安は杞憂に終わったが、トルシエジャパンでは試合出場は叶わなかった。
そんな田中が待望の代表初キャップを記録したのは、2004年4月だった。ドイツW杯に向けてジーコが日本代表の指揮を執り始めてから、およそ1年半後のことだ。東欧遠征のメンバーに選出された。
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