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韓国に逆転負け、加茂監督更迭、宿舎で言い争い...。どん底の状態のなか、山口素弘の問いかけにカズは黙って頷いた (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News,Fujimaki Goh

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「(韓国は)崔龍洙の下に金大儀がいるような形だったので、まずはそれをどうするのか。加えて、韓国の2列目からの飛び出しには(中盤の)自分らがついていくのか、3バックでひとり余っている選手に受け渡していいのか。そこの判断もすごく難しかった。

 自分たち中盤の選手は、できるだけ後ろには下がりたくないんですよ。DFラインに吸収されると、全体がどんどん下がっていってしまうので。自分たちの位置を保ちながら、どうやって守るのかという整理がその時はできていなかった」

 結果として、山口ら日本の中盤の選手たちは後ろに下がらざるを得ない状況に追い込まれていった。そして後半39分、同点弾を決められてしまう。

 相手の戦術にハメられた日本は、チーム全体の比重が後ろに傾いて、中盤の主導権を完全に奪われた。そのまま、勢いに乗る韓国に3分後、決勝ゴールまで献上してしまった。

 韓国サポーターが陣取る一角から歓声が上がったあと、国立競技場のスタンドは凪のような静けさが波打った。

「のちに(先制したあと)もう1点狙って攻撃的にいったほうがよかったと思ったけど、そういう判断も含めて(当時の日本代表には)対応力がなかった。

 今では相手によって、試合中にシステムを変えて柔軟に対応できるけど、当時は相手がこう来たからこう対処すればいいというレベルで、戦術眼の拙さがあったし、個人戦術の成熟度が足りなかった。海外でいろいろなチームと対戦する機会もなく、国際経験も乏しかった」

 ホームで、それも最大のライバルに逆転負けを喫したショックは相当なものだった。試合後のロッカールームは静まり返っていた。

 3試合を終えて、韓国が勝ち点9、日本は勝ち点4。当時、アジアのW杯出場枠は3.5(各グループ1位と、2位同士による第3代表決定戦の勝利チーム。負けたチームは大陸間プレーオフへ)。グループ首位で出場切符を手にするためには、ひとつも負けられない状況に追い込まれた。

「ホームで負けたショックはあったが、個人的にはそんなに引きずってはいなかった。次の日には、カザフスタンに移動することになっていたんで。

 その飛行機のなかで(韓国戦の)反省会みたいなことをしたけど、もう終わったこと。自分の頭のなかはカザフスタン戦に向いていた。(カザフスタンは)どんなチームかまったくわからなくて不気味だったし、もう(1試合も)落とせないと思っていたからね」

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