内田篤人の陰で。引退表明の小林祐三、代表キャップ0という勲章 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 J1歴代出場試合数トップ50に入り、代表に入っていない選手は4人しかいないが、小林はそのひとりである(他は新井場徹、大谷秀和、服部公太)。

 代表の右サイドバックは、2008年から内田篤人のテリトリーだった。そのセンスは際立っていた。ドイツでプレーを重ねることで研ぎ澄まされ、高いインテンシティの中でも落ちない精度を見せ、まさにワールドクラスだった。

「2013年の前後で、代表に選ばれていたらなぁ、と思うことはあります」

 小林は言う。

「でも、ウッチ―(内田)はすごかったから。2014年のワールドカップだって、日本代表のベストプレーヤーだったと思います。ウッチ―に勝った、と思ったことはないですよ。チャンピオンズリーグベスト4って、まるでステージが違います。でも、自分を選んでみてほしかったなというのはあります。それで距離感はわかったはずだし、どこまでやれるか、確かめたかったのはあった。そのうちに、自分にとってのいい時期というのは終わってしまいましたね」

 2015年から、内田と入れ替わるように頭角を現したのが、酒井宏樹だった。2010年、柏レイソルでプロデビューした酒井は、小林からポジションを奪えなかった。しかし2年目、小林の横浜FM移籍後には圧倒的パワーを武器にベストイレブンを受賞し、勢いを駆ってドイツのハノーファーへ移籍。当初は粗削りだったが、欧州で鍛えられ、2018年ワールドカップでは硬質な守備と迫力ある攻撃を見せた。

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 内田と酒井はまったくタイプが違うが、日本史上最高の右サイドバックと言えるだろう。

 小林は内田よりも1歳上、酒井より5歳も上だった。サイドバックとして、2人にはない実務的能力も持っていたが、海外で世界を相手にしていた選手をしのぐ価値を伝えるのは難しい。2人のバックアッパーになるのは、たいてい実績のあるベテラン代表選手か、年少の将来を見込まれた選手だった。

「自分にとって、J1優勝を争った2013年は印象深いですけど、J2で過ごした2006年は大事で、プロ選手としての自分が形成されたのはあるかもしれません」

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