トルシエ流と名波浩の存在――史上最強の日本代表はこうして生まれた (5ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 一方で、選ばれた名波にとっても、このアジアカップが貴重な舞台となったのは間違いない。セリエAを経た自身の成長と同時に、その成長が日本代表の強化へと直結することも確認できたからである。

「特に守備のところは、楽をしなくなりましたよね。連続で追えるようになったり、最短距離でボールまでいけるようになったり。日本に戻ってトレーニングをしていても、ジュビロの選手の動きがゆっくりに見える感じがありましたから。

 もともと、(守備で)自分がボールを取るのが好きじゃないというか、得意じゃなかったけれど、それが(ボールを取りに)いけるようになって、実際に(ボールを)取れるシーンが、あのアジアカップはすごく多かった。そこはもう圧倒的に成長した部分だったと思います。この大会で6試合やって、体が一番しんどいときでも頭はすごくクリアだったのは、イタリアでの1年のおかげはあったと思います」

 日本を代表するテクニシャンが泥臭い役割をもいとわなくなったとき、彼が大会MVPに選ばれるのも、そして日本がアジアの頂点に立つのも、必然の結果だった。

 うれしそうにカップを掲げたフランス人指揮官には、それがわかっていた、のかもしれない。

(おわり)

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