2019.05.01

黄金世代のFWが次世代の
子どもたちに伝えたい20年前の経験

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第6回:高田保則(後編)

 1999年ワールドユースで準優勝の快挙を遂げたU-20日本代表。ナイジェリアから凱旋帰国すると、選手たちは一躍人気者になった。

 当時、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に所属していた高田保則は、帰国したその足で市原に直行。Jリーグファーストステージ第9節のジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)との試合に出場したが、その盛り上がりが別世界の出来事のように感じられた。

ワールドユースから帰国後、高田保則には試練が待っていた。photo by Yanagawa Go 実はこのシーズン、高田の所属クラブはメインスポンサーのフジタが撤退するという激震に見舞われていた。しかも、チームはファーストステージ最下位に沈んでいた。そんななか、世界大会で準優勝となったチームの一員である高田には、どん底から這い上がる起爆剤としての期待がかかり、「エース」と呼ばれるようになっていた。

「(帰国すると)周囲の見る目が変わっていて、そのなかでいきなり『エース』と呼ばれるようになったんです。自分は、まだ20歳そこそこですよ。チームの中でエースと呼ばれるのは、ひとりじゃないですか。準優勝して戻って来たら、いきなりそれを背負わされたんです。

 後々『いい経験をさせてもらった』と思ったけど、その時は『自分がやらなければいけない』と思いすぎて、うまくいかないことが増え、結果も出せなった。本当にキツかったですね」

 そんななか、チームもファーストステージ最下位となり、セカンドステージでも下位に低迷した。高田は、自分も、チームもうまくいかないことを消化できず、チームメイトと衝突してしまったという。

「”チームのために”という、ナイジェリアで学んだことをチームでやろうと思ったんですけどね……。うまくいかないことを、自分の中で消化できないのでイライラしていたし、自分が点を取れないことを、人のせいにしていた。勝ちたい気持ちはみんなと同じなんですが、熱くなってハーフタイムにチームメイトと言い合いになったりして……。

 正直、前年にヒデさん(中田英寿)が抜けて、『いきなり”おまえがエース”って言われても……』って思っていた。(ワールドユースで)準優勝して、変なプライドだけついて、実力がともなっていなかったんです」