【サッカーU-23】ファン・ウェルメスケルケン・際が語る「異色の経歴」

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru  photo by AFLO

 U-23日本代表を率いる手倉森誠監督がポルトガル遠征(3月21日~30日)のメンバーを発表しているとき、オランダは朝......。ファン・ウェルメスケルケン・際(さい)は、まだ寝ていた。いったん起きてからスカイプを立ち上げると、親から記者会見の模様の動画が貼りつけられてあり、自分がメンバー入りしたことを確認すると、「ああ、よかった」と思ってから、ふたたびベッドのなかへ潜り込んだ。

オランダ2部のドルトレヒトでプレーするファン・ウェルメスケルケン・際オランダ2部のドルトレヒトでプレーするファン・ウェルメスケルケン・際 際は、オランダ人の父と日本人の母との間に生まれた。その名前には、「国際的な子に育ってほしい」という親の願いがこもっている。オランダ南部の町・マーストリヒトで生まれた際は、2歳のときに一家揃って日本へと移り、高校卒業までは日本の学校に通いながらサッカーをしていた。

 12歳の夏、「自分の生まれた国を一度、見ておきなさい」という親の勧めで、際はオランダの親戚の家にホームステイし、NECとドルトレヒトの練習にも参加した。それまで日本で、ブラジルスタイルの個人技を磨くサッカーを教わってきた際にとって、オランダのパスワークのサッカーは新鮮で、「日本に帰りたくない!」とすら思ったほど、オランダサッカーの虜(とりこ)になった。これが、際のサッカー人生の原体験となっている。

 中学、高校は山梨県内屈指の進学校・甲陵(こうりょう)へ進んだ。文武両道の校風は、毎年1回行なわれる35kmマラソンに表れている。スタートから13kmはずっと登りの難コース。これを際は2時間20分で走り切り、同級生は「際くんは涼しい顔をして走っていた」と述懐する。さらに際はヴァンフォーレ甲府のユースに入団したため、毎日長距離の移動をこなしながら、勉強とサッカーを両立し続けた。

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