膨らむ不安。W杯イヤーにわずか2試合という「異常性」 (2ページ目)
W杯まで残り半年。競馬でいえば、第4コーナーを回り、最後の直線を疾走している瞬間だ。騎手が鞭を放とうという、まさにそのタイミングにもかかわらず、日本は鞭を入れられない。何より、放つべき鞭がない。ライバルであるギリシャと韓国が、いい感じで鞭を放っている姿を羨ましそうに眺めて、日本は勝手に失速しようとしている。これでは、W杯前からグループリーグ敗退が決まったかのように見える。
W杯イヤーを迎えて、本番までラスト半年で2試合というのが、どれほど異常か。日本が本大会に出場した過去4大会の、それぞれのラスト半年と比較すれば、一目瞭然。
1998年フランス大会=10試合。2002年日韓共催大会=8試合。2006年ドイツ大会=9試合。2010年南アフリカ大会=9試合。
いわゆる「サッカーのカレンダー」が過密になり、以前よりも国際試合が組みにくくなっていることは確かだ。ラスト半年でノルマは10試合だと言うつもりはない。計画性に優れた5試合ならまったく問題ない。だが、わずか2試合で、しかも相手がニュージーランドとキプロス。試合はいずれもホーム戦となれば、これは誰でも嘆きたくなる。「協会さん、今回はどうしちゃったんですか?」と。
「仮想・ギリシャ」と言って盛り上げようとするメディアに至っては、違う星からやってきた人のような、調子の違いを感じる。問題意識ゼロ。危機意識ゼロ。サッカーを楽しみたがっている人たちにはとても見えない。
ニュージーランド戦の謳(うた)い文句は、「代表最後の国立」だ。ニュージーランドを招いた理由は、大地震を経験した国同士の親睦、交流を図る目的があるとか。しかし、これはあくまでも"副題"だ。本題の弱さを立派な副題で補おうとしている感じがする。ラスト半年で10試合戦う余裕があるなら、こういう試合があってもいいが、2試合しかないうちの1試合となると話は別だ。
過去4大会のラスト半年はいずれも、かなりドタバタした。上級ではない、B級のエンターテインメント。それを受けての本大会だった。風船の中に期待や不安といった空気が徐々に充満していって、本番でパンッ! と弾ける感じがあった。
例えば、前回の南アフリカ大会の初戦、vsカメルーンで本田圭佑が0トップを張る光景を見た瞬間。そして、その本田が松井大輔のセンタリングをトラップし、ボールを持ち替えて、巧みな先制ゴールを決めた瞬間。それは、そこに至る半年間の"ストーリー"の答えが出た瞬間でもあった。「主人公は本田」――その驚きの展開に酔いしれることができた。
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