【プロ野球】「おまえら耕運機か!」 スーパーカートリオの3連続盗塁死に近藤貞雄がブチ切れ それでも屋鋪要が「一番いい監督だった」と語る理由 (3ページ目)
主力選手としてのプライドを尊重するように、近藤は屋鋪を起用し続けた。2年目のスーパーカートリオは序盤から打順が入れ替わるなど流動的になり、シーズン中盤以降は加藤の離脱で解散状態となったが、それでも屋鋪はリーグ最多タイの48盗塁を記録した。10月17日、シーズン最後の中日戦で、かつて近藤が見出した平野謙が屋鋪に追いつき、盗塁王を分け合った。
【近藤貞雄が日本球界に残した遺産】
この時、近藤の退任とり、古葉竹識への監督交代はすでに決まっていた。古葉は広島でリーグ優勝4回、日本一3回と輝かしい実績がある名将。最終戦のあと、選手から胴上げされた近藤は記者の前に立ち、「本当は優勝して胴上げしてもらいたかったけど、それは来年、古葉君に......」と言って目に涙を浮かべた。
「胴上げのあと、近藤さん、ベンチでこう言われたんです。『オレは辞めていくけども、次にはいい監督が来るから』って。『いい監督』って、何でしょうかね。古葉さんには失礼だけど、チームの成績は5位、4位、6位でした。僕らも期待はしたけれども、チームは上昇できなかった。近藤さんは最下位から2年連続4位です。僕は近藤さんが『いい監督』だと思います」
大洋は1960年に球団初のリーグ優勝と日本一を達成して以来、1986年まで26年間、リーグ優勝から遠ざかっていた。その歴史を踏まえたうえでの「いい監督」は、「少しでもチーム力を上げて強くする監督」だと屋鋪は言う。一方で、選手の前では古葉を引き合いに出した近藤だが、記者に対しては「選手にはずいぶん毒舌を吐いた。闘争心だけは忘れるな」と語っていた。
「すばらしいですよね、その言葉は。毒舌はあまり記憶してないけど、パッと短く叱って選手を発奮させていました。僕は『失敗してもいいから』って言われて発奮して、走って、盗塁の技術も伸びた。技術が伸びた選手が増えると必ずチーム力が上がって、優勝に近づく。僕らはそこまでいかなかったけど、いろいろな面で選手にプラス材料を与えてくれた監督でしたね」
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