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【プロ野球】「おまえら耕運機か!」 スーパーカートリオの3連続盗塁死に近藤貞雄がブチ切れ それでも屋鋪要が「一番いい監督だった」と語る理由 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

 自己最多の58盗塁を記録しただけでなく、屋鋪は打つほうでも好結果を残した。これは他の2人も同様で、42盗塁の高木は打率.318、出塁率.416。48盗塁の加藤は打率.280、リーグ1位の39犠打。さらに3人とも三塁打を5本ずつ記録するなど、グラウンドを縦横無尽に駆け回った。トリオで合計148盗塁。チームの188盗塁は、機動力野球の広島よりも10個多いリーグ1位だった。

【近藤貞雄が見せた無言の信頼】

 近藤が大洋で実践した、もうひとつの大胆な戦術が"アメリカンフットボール式"の野球だった。攻撃型のオーダーで試合に入り、終盤にリードしていれば、守備力を重視した布陣へと切り替える。ゆえに守備固めの起用が常態化し、内野では村岡耕一、大久保弘司、外野では石橋貢、河野誉彦が、いずれも前年から出場機会を大きく増やした。彼らの同僚として、屋鋪はこの采配をどう見ていたのか。

「V9の時の巨人のように、ほとんどメンバーが変わらないのが理想ですけども、ベンチに25人いたら、ピッチャーが8人、9人として、16人、17人の野手がいるわけです。すべての選手に仕事を与える、というのはいいことですよね。僕は現役の時、監督代行を入れたら10人の監督に仕えましたけど、そこまで全員を生かそうとする方はほかにいなかったと思います」

 屋鋪にとって、仕えた10人の監督のなかで一番印象に残っているのが近藤。だが、それは対話が多かったり、何らかの指導を受けたりしたからではなかった。就任2年目の1986年、近藤の無言の信頼に発奮させられたことがあったという。

「左手の手首を痛めた時です。そういう時にコーチを介して『二軍に行って調整してくれ』とか『二軍でケガを治してくれ』って言われるのは、当たり前なんですね。監督の権限ですから。でも、その時はコーチから『二軍に行って調整するか?』って聞かれたんです。『調整してくれ』じゃないから、『いや、僕、落とされるのは嫌です』って答えました。

 一軍と二軍の違いは歴然で、二軍は仕事じゃないと思っていたので『嫌だ』と。そうしたら一軍に残してくれたんです。ただ、手首は痛いままで、普段、左ピッチャーには右打席に立つところ、左でも左打席に立って何とか......。そういう点ではチームに迷惑をかけたかもわからないけど、近藤さんは僕の話を聞いてくれた。当然、感謝しかなかったし、発奮材料になりましたね」

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