検索

「ほんま、天才ですわ」 恩師が絶賛した平野佳寿の知られざる素顔 42歳までマウンドに立ち続けた男の原風景 (4ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

「平野、バランスボールの上でも、ボールが投げられるんですよ。これからトレーニング始めるみたいなんで、ちょっと見てみますか」

 勝村監督に案内され、トレーニングルームへ向かった。そこには、まるでサーカスの「玉乗り」のように、バランスボールの上で全身の均衡を保っている平野の姿があった。

「ほんま、ボディバランスと柔軟性のお化けみたいなヤツでね。天才ですわ」

 勝村監督の言葉に、私も目を丸くしながら、深くうなずいたものだ。

【日米通算258セーブを支えた"変わらない強さ"】

 思えば、プロ入りに際しても、平野の「はんなり」とした人柄が大きく関係していたように思う。

 担当の酒井勉スカウト(現・東海大投手コーチ)が足しげく視察に訪れてくれたことに恩義を感じ、2005年の大学生・社会人ドラフトで希望入団枠によるオリックス入りを決断した。

 ルーキーイヤーの2006年から先発ローテーションの一角を担い、奮闘。右ヒジの手術を経て、2009年には先発として復帰した。そしてプロ5年目の2010年、中継ぎに転向。そこから3年間で96ホールドをマークし、球界を代表するセットアッパーへと成長した。

 2012年終盤からはクローザーを任され、翌2013年には31セーブを記録。2014年には40セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得した。

 2018年には活躍の舞台をメジャーリーグへ移し、アリゾナ・ダイヤモンドバックス、シアトル・マリナーズで計3年間プレー。海を渡ってもリリーフとして確かな足跡を残した。

 そして2021年、古巣オリックスに復帰。そこから6年間で94セーブを積み重ね、再びチームの勝利を支え続けたのだから、すごい。

 普通なら、燃え尽きたとか、もう限界だとか、そんな言葉とともに第一線から退いていってもおかしくない年齢である。それでも平野は踏ん張った。どれだけ年齢を重ねても、どれだけ厳しい場面を任されても、マウンドに上がれば、いつもの平野佳寿がいた。

4 / 5

登録は簡単! チェックを入れてボタンを押すだけ 詳しくはこちら

キーワード

このページのトップに戻る