「ほんま、天才ですわ」 恩師が絶賛した平野佳寿の知られざる素顔 42歳までマウンドに立ち続けた男の原風景
流しのブルペンキャッチャー回顧録
第17回 平野佳寿(元オリックスほか)
京都産業大学のグラウンドは、京都市北区の上賀茂神山(かみがもこうやま)にある。その日は、たしか京都市営地下鉄の北大路駅からタクシーに乗ったと記憶している。走り出して間もなく京都府立植物園が見え、京都で最も古い神社のひとつとされる上賀茂神社の脇を通り、川沿いの道を谷の奥へと進んでいく。
有名な鴨川は、出町柳付近で賀茂川と高野川が合流したもので、こちら側は「賀茂川」と呼ばれていることを、運転手さんに教えてもらった。
さらに山間へと分け入るように進む。「ここを入ったとこがグラウンドですわ」と教えられて間もなく、目的地に到着した。そこは文字どおり、山の中だった。
京都産業大時代の平野佳寿 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【極寒のブルペンで見たリリーフの適性】
「なんか、京都とは思えへんでしょう。冬なったら、街のほうとは5℃は違いますわ」
勝村法彦監督(当時)のやんわりとした京言葉に、これからボールを受ける緊張がいくらか和らいだ。
京都産業大の平野佳寿は、当時まだ全国的な知名度はそれほど高くなかったものの、関西の大学野球界では3年生の頃から「学生球界ナンバーワン右腕」ともっぱらの評判だった。
1年秋にリーグ戦デビューを果たし、2年春からはエース格として登板。大学4年間で36勝11敗、防御率1.33、404奪三振。MVP2回、最優秀投手賞4回という輝かしい実績を残した。
4年間にわたり大きな故障もなく、安定して好成績を残し続けたことに、プロのスカウト陣も最大級の評価を与えていた。
それにしても、冷える日だった。昼間だというのに、雪雲で空にフタをされたような薄暗さ。たしか、春のリーグ戦を控えた3月中旬だっただろうか。
勝村監督が言うように、「街中より5℃は低い」グラウンドである。足元からの底冷えは相当なもので、スパイクの中の足の指先まで凍えて痛かった。平野に「こんな日に投げてもらって、申しわけないね......」と声をかけると、満面の笑みで返してくれた。
「全然大丈夫ですよ。いつも今頃はこんな感じなんで。京都は寒いところなんです」
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著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。



























