【プロ野球】「頼むと言われる限り、僕はマウンドに立つ」 シーズン81試合を投げた元西武・平井克典が最後まで貫いた生き方 (2ページ目)
ただ、2019年の平井は4月23〜25日のロッテ戦で3日連続登板。初戦の23日には、イニングをまたいで41球を投げている。
この年、3日連続登板が4度、4日連続登板が1度あった。8月18日からの4日連続登板では、「ヤフオクドーム→京セラドーム→メットライフドーム2試合」(球場名は当時)と移動も重なった。
「その頃は優勝争いをしていたので、『どれだけ点差があっても行く』と言っていました」
4点差以上のリードや僅差のビハインドなど、ホールドがつかない場面でもマウンドに上がった。辻発彦監督(当時)からは、こう言われていたという。
「1点差で負けているのを、2点差にしないでほしい。2点差で負けているのを、3点差にしないでほしい。抑えれば勝てる確率が上がるから、行ってくれないか」
現在の常識に照らせば、考えにくい起用法かもしれない。今は多くのチームが、リードしている試合とビハインドの試合で起用するリリーフを明確に分けている。
【仮に50試合の登板でも結果は一緒】
だが、当時の西武は規格外のチームだった。看板の"山賊打線"が打ちまくり、リーグワーストのチーム防御率だった投手陣をカバーする。試合終盤に僅差でリードされていても、十分に「射程圏内」と考えられていた。
平井自身も同じだった。
「ハイパーに打つ打線でした。相手のセットアッパーやクローザーが出てきても、『関係ないよ』という感じで。1点差や2点差で負けていても、その点差のまま抑えれば勝つ確率が上がる。そこを僕に託してくれるなら、『行きますよ』と言っていました」
もちろん、腕を振り続けた平井にも休養日は与えられていた。
「連投したあとなど、次の日は前もって『休み』と言ってくれました。そういう日は1日、練習の時からグダーっとしていました」
さらに、連投していたのは平井だけではない。3日連続登板は小川が3度、増田が2度、当時ルーキーだった森脇亮介も1度だけ経験している。
ただし、その負荷には大きな差があった。小川、増田、森脇の3人は、合わせて3日連続登板が6度。その間に投じた球数は計236球だった。
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