【プロ野球】引退した田中広輔が明かす、12年の現役生活で物足りなかったこと 今の広島の低迷は「特に驚きはない」 (2ページ目)
【手術後の葛藤】
――同年の8月には、右膝半月板の手術を決断しましたね。
「試合で使ってもらっているうちは手術に踏み切るつもりはありませんでしたけど、手術をしないと治らないくらいに症状が悪化していたので、思いきって治療に専念することにしたんです」
――田中選手の抜けたショートのポジションは、ルーキーだった小園海斗選手ら、若手の選手が任されることになりました。歯がゆい思いなどもありましたか?
「レギュラーポジションを獲ることの大変さは、自分でも身に沁みてわかっていましたから、さほど怖さはありませんでした。『そんなにプロの世界は甘くないぞ。獲れるものなら獲ってみろ』という気持ちを秘めつつ、若手選手たちの活躍を見ていました。ただ、一方では『もしかすると、ここからまたレギュラーに返り咲くのは、想像以上に大変なことかもしれないな』という思いもありましたね」
――翌年、田中さんは選手会長になり、再びショートのレギュラーとして活躍します。どのような思いでシーズンに臨んだんですか?
「ケガでレギュラーポジションを手放すことになってしまったので、『もう一度ケガをしてしまったら、選手生活は終わりかもしれない』という危機感や、『自分が今やれることを精一杯やるしかない』という覚悟を持って臨みましたね。
選手会長になってから、チームの状況をより客観的に見渡し、自身の置かれている立場を理解するようになった部分はあるかもしれません。翌年以降は先発で出場する機会が減ってしまって、気持ちを整理したり、野球に対するモチベーションを維持したりする難しさを感じることはありました。ただ、ベテランよりも若手の起用を優先せざるを得ないチーム事情は理解できましたし、目先の細かなことに一喜一憂しなくなったかもしれません」
――ベテランになるにつれて、二軍で過ごす時間も増えていったように思います。ご自身の役割の変化をどのように受け止め、モチベーションを維持していたんですか?
「正直なところ、気持ちを整える難しさはありました。周囲にはあまり見せないようにしていましたが、『これまでチームを勝たせてきて優勝にも貢献してきた自分は、ほかの選手に負けていないはず』というプライドのようなものが自分を支えていたかもしれません。
ファームの試合に出場し続けながら、誰にも不満を言われることがないような成績を残そうと心がけていました。『いつ一軍に呼ばれてもいいように』という思いで、諦めずに野球に取り組んでいました」
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