新庄監督からDM、大谷翔平に「ありがとう」のメッセージを送ると...鍵谷陽平が明かす引退セレモニーの舞台裏 (4ページ目)
── 花束をもらって監督とハグした時、いい匂いがしましたか?
鍵谷 しました(笑)。新庄さんの監督室がすごくいい匂いなんです。甘いというか、大人の香りというか。監督室でこんな匂いするところあるんだと思って。
引退セレモニーでは同期入団の大谷翔平選手からもメッセージが届いた photo by Hosono Shinjiこの記事に関連する写真を見る
【感動の引退セレモニー】
── この後のセレモニーがまた感動的でした。ロッテの澤村(拓一)選手は、映像で泣いていてビックリしました。
鍵谷 澤村さんすごかったですね。うれしかったです。
── 大学時代(中央大の先輩後輩)から、ずっと仲がいいですよね。
鍵谷 大学では、僕が1年の時に澤村さんが3年で、その時からの付き合いです。当時の中大は投手コーチがいなくて、基本的には選手が自分で考えて練習をするスタンスなんです。なので、練習をやる選手は一生懸命しますし、やらない選手はやらない。僕は澤村さんにお願いして、「一緒に練習やらせてください」って言ってから、仲良くしてもらっています。
── 毎年、自主トレも一緒にやっていましたね。
鍵谷 そうです。澤村さんには引退を電話で伝えました。電話でも涙もろかったですね(笑)。本当にいろいろお世話になりました。
── あと、大谷翔平選手からのビデオメッセージが流れました。
鍵谷 ざわつきましたね。
── エスコンが「オ〜ッ!」と。ちょうど「50−50」で騒がれていたタイミングでしたね。
鍵谷 翔平は、さすがにないだろうと思っていました。一番大変な時期だったと思うし、僕も引退すると翔平に言ってなかったので、さすがにメッセージみたいなのはないだろうと。球団の方に感謝ですね。
── 大谷選手には何か言葉を返したんですか?
鍵谷 LINEで「ありがとう」「まだまだ頑張ってね」と送りました。そしたらデコピンのスタンプが返ってきました。いかにも翔平らしいなと(笑)。
鍵谷陽平(かぎや・ようへい)/1990年9月23日、北海道亀田郡七飯町出身。北海高から中央大に進み、2012年ドラフト3位で日本ハムに入団。1年目から38試合に登板するなど、おもにリリーフとして活躍。17年にはシーズン60試合に登板した。19年シーズン途中から巨人に移籍。23年オフに戦力外通告を受けるも、古巣である日本ハムと育成契約を交わす。24年7月に支配下になるも一軍登板の機会がなく、9月に現役引退を発表。25年から日本ハムのチームスタッフとして活動する。妻は女優の青谷優衣
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