名アンパイヤが振り返る思い出の退場劇 日本一6度の名将に野球人生初の「退場」を宣告したのはなぜ? (2ページ目)
【日本一6度の名将に初の退場宣告】
── 初めての退場宣告はグレン・ブラッグス選手(横浜)ですね。
井野 ブラックス選手は、その前に津野広志(=浩)投手や与田剛投手(いずれも中日)からの死球に端を発した乱闘、退場事件を起こしていました。退場処分の理由は「選手間のトラブル」です。ただ、2度とも乱闘に発展するほどの死球ではありませんでした。特に与田投手から死球を受けた時は、彼の顔面を何度も殴打しました。
── 井野さんが退場宣告した時も、死球がきっかけだったのですか?
井野 いえ、ハーフスイングでした。甲子園球場での阪神対横浜戦で、久保康生投手のカウント2−2からの外角低目の投球にブラッグス選手がハーフスイング。球審にスイングか否かを問われた一塁塁審の私は、スイングで三振のジャッジをしたのです。この判定に激昂したブラッグス選手は一塁に向かってきて、日本語で「くそったれ!」という意味の英単語を発したので、「審判員への暴言」を理由に退場にしました。193センチ、100キロの巨体から180センチの私を見下ろすような格好になりました。メジャーを経験した選手は審判員に絶対に手を出しません。それでも与田投手への一件があったので、正直とても恐ろしかったです。
── 西武9年間で8度のリーグ優勝、日本一6度の森祇晶監督(当時・横浜監督)をプロ35年目にして初退場させたと聞きましたが、その経緯は?
井野 2001年、神宮球場でのヤクルト対横浜戦でした。0対0の延長12回、横浜の佐伯貴弘選手の打球をレフトのアレックス・ラミレス選手が前進して捕球。三塁塁審のジャッジは「ダイレクトキャッチ」でアウトでした。佐伯選手は「ヒットじゃないかよ!」と抗議し、森監督も「ボールに人工芝の緑の色がついているじゃないか」と。審判団の判断は「いつついた色なのかはっきりしない」ということでしたが、なかなか納得してもらえませんでした。審判員クルーにおける責任審判の私は森監督に、「監督、もう28分中断です。お客さんをこれ以上待たせるわけにはいきません」と。
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