ヤクルト奥川恭伸は960日勝利の陰で人知れず苦しんでいた 「どうやって投げたらいいんだろうって...」
ヤクルト奥川恭伸が語った激動の2024年シーズン(前編)
6月14日、ヤクルトの奥川恭伸はオリックス戦(京セラ)に先発し、5回を7安打1失点に抑えて勝利投手となった。右ヒジの故障、左足首の骨折など数々の試練を乗り越えての960日ぶりの勝ち星となった。
涙の復活勝利の数日前には、「一軍登板はまだ先なのに、ストライクが入らなかったらどうしようかとか考えてしまって、よく眠れないんです」と不安な思いを明かし、一軍で投げ始めると、「パフォーマンスというというころで、全然うまくいきませんでした」と苦しんだ。
今シーズンのピッチングと揺れ動いた感情......そこから見えてきた未来像について、あらためて語ってもらった。
6月14日のオリックス戦で960日ぶりの勝利を挙げ、試合後に涙ぐむヤクルト・奥川恭伸 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【復帰登板はとにかく勝ちたかった】
「復帰登板はとにかく勝ちたかったですね。勝ちという形を残すというか、とにかく勝利投手になりたかったんです。個人的に勝ちがほしかったというより、勝つことがリハビリ期間中にお世話になった方々へのわかりやすい恩返しだと思っていたので」
2年ぶりの一軍の舞台。いろいろと慣れるのが難しかったのではと尋ねると、「自分もふわふわして、ピッチング内容もふわふわしていましたね」と笑った。
「最初がホームゲームだったらやばかったと思います。あの日はビジターで、1回表が終わってからの登板だったので、気持ち的にもちょっと落ち着いていたし大丈夫でした。2戦目もまだ慣れなくて、ホームでの復帰戦だったこともあって緊張しました。この2試合は是が非でも勝ちたかったので、それができてよかったです」
奥川はこの2試合について、「今どきの言葉で言えば"エモい"という感じでしたが、そのあとの試合からは現実モードに入りました」と話した。
「でも、なかなか難しかったですね。ファームで投げていた時の力がうまく出せないというか、そこにはいろいろな要因があるのですが、慣れるまでにすごく時間がかかりました」
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著者プロフィール
島村誠也 (しまむら・せいや)
1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。