遠藤一彦は1年遅れでプロ入りした江川卓を見て「ライバル心なんて芽生えていなかった」
連載 怪物・江川卓伝〜大洋のエース・遠藤一彦が抱いた畏怖の念(前編)
「向こうはライバルなんて思ってないんでしょうね。こっちの一方的な片想いですよ」
江川卓のライバルと口にするのも憚(はばか)られる。自分とは天と地との差があると本気で感じている遠藤一彦の深奥に潜む思いは、じつに純粋だった。
1980年代、怪物・江川に真っ向から立ち向かえるピッチャーをひとり挙げろと言われれば、真っ先に名前が浮かぶのが大洋のエース・遠藤である。切れ味鋭いフォークを武器に、83年から2年連続最多勝を獲得し、「江川のライバル」として名実ともに球界を代表するピッチャーへと上り詰めた。
1977年のドラフトで大洋から3位で指名された遠藤一彦 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【首都大学リーグ通算28勝】
1977年のドラフトで大洋に3位指名された遠藤は「指名されるとは思ってなかったですから......」と謙遜ではなく、偽りのない様子で語る。
首都リーグで通算28勝を挙げ、東海大のエースとして活躍していたものの、ストレートは130キロ台で、決め球のフォークもまだマスターしておらず、自己評価として「プロのレベルではない」と感じていた。
そんな遠藤に江川について聞くと、こんなエピソードを教えてくれた。
「高校3年(学法石川・福島)の5月か6月頃に作新学院と練習試合が組まれていたのですが、雨で流れてしまいました。その時、もし試合をしていたら『生の江川を見た』とはしゃいでいたんでしょうね。とにかく、栃木で投げている選手のことが地方紙の全国版で名前が載るって、それだけですごいことです。異例のことだと思います」
高校時代の江川と対戦、もしくは生で見たことで、のちの野球人生になんらかの影響を受けたプロ野球選手は数多くいる。西本聖、篠塚和典、中尾孝義、達川光男......江川と対峙したことで独自の野球観が生まれ、それに対抗すべくレベルアップを図っていく。
しかし遠藤は、仮に作新学院の江川と対戦したとしても、「何も変わらなかったと思う」と断言する。それほどアマチュア時代の遠藤にとって江川は遠い存在であり、プロ野球の世界へ入るなど想像もしていなかったからだ。
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著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。