江川卓の分岐点を石毛宏典が語る「人並み以上の力があったがゆえに、計算できるようになってしまった」 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 サードの掛布雅之から声をかけられると、朗らかな笑みがこぼれた。グラブをはめ直すとともに、再びスイッチを入れる。3球目は小さく曲がるカーブでストライク。そして最後は、外に大きく逃げるカーブで空振り三振。

「全然覚えてない。カーブで三振したのと、最後に大石大二郎がカーブをちょこんと当ててセカンドゴロだったのは覚えている。オールスターに出る本格派のピッチャーって、大体真っすぐ一本で来るじゃないですか。9連続奪三振の江夏豊さんだって真っすぐ、真っすぐで押してね。江川にしても、当然あれだけの速い球があるんだから真っすぐで勝負してくると思ったんだけど、案外カーブを決め球にして三振を取ってくる感じだった」

 1ボール2ストライクとなった4球目、石毛は完全なストレート狙いで待ち構えていた。そうでもなければ、好打者の石毛があそこまでアゴを上げて空振りすることはない。でも石毛は、最後に空振り三振したことは覚えているが、そのほかのことはまったく覚えていないという。

【江川のボールに匹敵した投手は?】

 80年代、パ・リーグの好投手たちと幾多の名勝負を繰り広げてきた石毛に、江川のボールに匹敵するピッチャーがいたのかどうか尋ねてみた。

「(郭)泰源(西武)に近いかな。泰源も江川さん同様に、力感のないフォームからピュッとくるストレート。(西武時代の)同僚のなかでは、泰源と(渡辺)智男が速かった。あの当時のパ・リーグの審判に『工藤公康、渡辺久信、郭泰源、渡辺智男、誰がいいんだよ?』って聞いたら、『渡辺智男がすごい』って即答しました。

 智男は高校時代(伊野商)に甲子園でPL学園の清原(和博)を3三振させているわけでしょ。表現としては、ボールがワーッと大きく見えてくる感じだって。いわゆる初速と終速の差があまりないようなピッチャーだったんじゃないですかね」

 最速158キロのストレートを武器に"オリエンタル・エクスプレス"の愛称で、85年に西武へ入団した郭泰源。細身でしなやかな手足からスリークォーターから投げ込まれるボールは、地を這うようなスピンの効いた快速球だった。石毛が言う江川の軌道とは少し違うが、力感のないフォーム、コントロール、投球術、スピードなど、投球スタイルは似ていた。

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