細川亨が語る野村克也からの印象深い称賛と苦言 薫陶を受けた7人の指揮官の特徴とは (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【野村克也氏から高評価】

── 楽天時代の野村克也監督は、西武時代の細川さんのリードを高く評価して、「2009年WBCの日本代表に細川を選ぶべきだ」と公言していました。

細川 同じ投手、同じ打者、同じカウントでエンドランはかけづらいものですが、そのやっていないカウントを私が覚えていて、ウエストしてランナーを刺したんです。そんなところを評価してくれたのはないでしょうか。「あんなに褒めていただき、ありがとうございます」とあいさつに行ったら、「それはいいけど、おまえ、もうちょっと打てよ」と言われました(笑)。

── 野村監督の持論に「捕手は日本シリーズで成長する」というのがあります。細川さんは日本シリーズに5回出場し、また7人の監督のもとでプレーされました。"細川流配球論"を教えてください。

細川 投手の投げたい球を投げさせるというのが、基本としてあります。その投手の状態に、打者の状態をかけ合わせて配球を組み立てます。そして「抑える配球」に「打たせる配球」も持っておかないと、本当の配球ではないと思っています。たとえば、9回まで0対0の状態が続くだろうということが5回、6回の時点で推察できた時、長距離打者にホームランを打たせて、わざと試合を動かすこともありました。

── 野村監督に「打てない」と言われていましたが、2004年にはサイクルヒットを達成しています。

細川 2004年4月4日の4並びの日に、日本ハム戦で打ちました。あれから試合に使ってもらい始めたので、ひとつのターニングポイントになりましたね。

── 犠打も通算296個(歴代9位)を記録しています。

細川 あと少しで伊東勤さんの通算305個(歴代6位)を抜けたのに残念です(笑)。

── 細川さんと言えば、バントの構えからのバスターで何度かホームランを打っているのには驚きました。

細川 打撃練習中にバスターをやったらうまくタイミングがとれて、土井正博さんと立花義家さんに「いっそのこと、それで打て」と言われて......。バスターで初めてホームランを打った時の投手は、黒田博樹さんでした。

後編につづく>>

細川亨(ほそかわ・とおる)/1980年1月4日、青森県生まれ。青森北高から青森大に進み、2001年自由獲得枠で西武に入団。08年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。10年オフにFAでソフトバンクに移籍。13年から2年連続100試合以上に出場するなど、常勝チームの正捕手として活躍。16年オフにコーチ就任を断り自由契約となるも、楽天に移籍。18年オフに戦力外となったが、ロッテと契約。2年間プレーし、20年限りで現役を引退。引退後は21年から発足する熊本の独立リーグ「火の国サラマンダーズ」の監督に就任。22年からは社会人野球「ロキテクノ富山」のバッテリーコーチ兼ディフェンス担当として活躍中

2 / 2

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る