上重聡が最初に覚えた立教大野球部の寮則は「長嶋茂雄さんがテレビに映ったら、正座をしてこんにちはと言え」だった (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ichikawa Mitsuharu (Hikaru Studio)

── その日のピッチングは今、どんなふうに脳裏に焼きついているんですか。

上重 こうやって投げればそこに行くというレールが、野球人生で初めて見えた気がしました......いや、あの日はたしかにそれが見えていましたね。ただそんな感覚は長く続かなかったことと、周りから"完全試合をしたあの上重"と言われる十字架を背負わされて、またスランプになってしまいました。だから4年生の時、プロ野球選手になるのをあきらめて、アナウンサーを目指すことにしたんです。

── 今、アナウンサーとしてマイクの前で野球を伝える上重さんにとって、あの完全試合はどんな意味を持っているのでしょう。

上重 大学時代、私には野球で活躍できずに不本意なまま終わってしまったという思いがあります。そんななか、ひとつだけ名前が残る記録を残せたことは、大学で野球をやった自分を支えてくれています。のちに大学野球を実況することがあって、早稲田大の斎藤佑樹投手のデビュー戦も実況しました。その時の斎藤投手、東大を相手に途中まで完全試合を続けていたんですよ。で、「もし達成すればオレ以来」というのをいつ言おうかなと思っていました(笑)。アナウンサーって一見、華やかに見えるかもしれませんが、誰かを輝かせるために言葉で表現する裏方の仕事です。だからこそ、大学時代に苦しんだ経験はすごく大きかったと思っています。

── 上重さんにとっての立教魂を言葉にしていただくとしたら......。

上重 立教魂ですか? それはもう、長嶋茂雄さんに尽きるんじゃないですか。立教に入って最初に覚えた寮則のなかに「長嶋さんがテレビに映ったら正座をしてこんにちはと言え」という一文があったんです。しかも括弧つきで「ただし一茂さんは別」と書いてある(笑)。こんなギャグみたいな寮則でいいのかなと思いましたよ。

 立教のイメージってよく言えばスマート、悪く言えば勝負弱い。誇っていいのは偉大なOBの長嶋茂雄さん......長嶋さんの存在って立教野球部にとっては永久に不滅ですし、それこそが唯一無二の立教魂なのかもしれませんね。


上重聡(かみしげ・さとし)/1980年5月2日生まれ、大阪府出身。PL学園時代にはエースとして春夏連続甲子園に出場し、春はベスト4、夏はベスト8に進出。敗れた相手はともに松坂大輔を擁する横浜高校だったが、夏の"延長17回の死闘"は球史に刻まれる名勝負として、今も語り草になっている。立教大学に進学後は、東京六大学リーグ史上2人目となる完全試合を達成。その後プロへの道は断念し、現在は日本テレビアナウンサーとして活躍中。

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