ラッキーゾーン撤去から始まった92年タイガースの快進撃。八木裕「なんぼ点とればええの?」から投手陣が変わった (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 開幕前、必ず行なわれていた決起集会。東京遠征で始まる92年は、神宮球場近くの焼肉店にナインが集結した。新選手会長の和田豊が音頭を取り、対ヤクルト2連戦、続く対巨人3連戦を「勝ち越して大阪に帰ろう!」と声を張り上げた。中村監督が「最低でも2勝して大阪へ帰ろう」と言ったことに対し、和田が反抗したのだ。

「監督はいつも冷静な判断のもとにコメントするわけですけど、和田さんの言葉は常にその上を行くんです。決起集会だけじゃなく、監督が『じゃあ、ここらへんで』って言ったら、必ずそれより上を言う。『絶対、勝ち越す』とか『絶対に優勝する』とか。それぐらい、和田さんはチームのことを思っていました。まさに選手会長、リーダーでしたね」

ラッキーゾーン撤去の恩恵

 頼もしいリーダーだったが、八木自身、「優勝」は現実的ではないと考えていた。攻撃陣はジム・パチョレックが新加入し、開幕戦で新人遊撃手の久慈照嘉、5年目捕手の山田勝久を抜擢。たしかにメンバーは変わり、和田が遊撃から二塁、岡田彰布が二塁から一塁にコンバートされて布陣は刷新されたが、戦力的には前年と大きく変わっていなかった。

「ただ、試合が進むにつれて、ピッチャーの調子はいいということがだんだんわかってきたんです。ラッキーゾーンがなくなった甲子園球場の恩恵もあり、若手と言われていたピッチャーがある程度、実力を発揮しだしたんですね。4月、5月と戦っていくなかで、『ああ、球場が広くなるってこういうことなんだな』って実感しました」

 そのなかで八木自身の調子は開幕からよくなかった。案の定、ラッキーゾーンがあったら......という打球も少なくなく、4月は打率.225で4本塁打。5月は1本塁打に終わり、打率も2割3分台。その間、若手の亀山努、新庄剛志が台頭していたが、その活躍をどう見ていたのだろう。

「ふたりとも力があるのは知っていましたから。とくに亀山は2年連続ウエスタンで首位打者を獲って、もともとバッティングもいいし、力はあることはわかっていました。新庄はオマリーがケガしたおかげで出てきた形でしたが、すぐに結果を出した。このふたりがチームに勢いをつくってくれたのはたしかなので、今でも感謝しています」

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