村上宗隆と清宮幸太郎との間になぜ決定的な差が生まれたのか。広岡達朗は「選手は入った球団によって野球人生が決まる」
いよいよ佳境を迎えるプロ野球だが、最大の関心事といえば、現在(8月9日現在)ホームラン39本の村上宗隆(ヤクルト)がシーズン本塁打記録(60本)を超せるのか、はたまた三冠王を達成できるのかである。
7月31日の阪神戦(甲子園)から8月2日の中日戦(神宮)にかけて、村上は5打席連続本塁打の日本記録を樹立。それに触発されたのか、8月3日に清宮幸太郎(日本ハム)が12、13号と1試合2本塁打を放った。
村上と清宮は同級生で、互いにプロ5年目の左打者。ヤクルトは2017年のドラフトで清宮を1位で指名するも7球団競合の末に抽選で敗れ、外れ1位として3球団から指名を受けた村上の交渉権を獲得した。
2004年の松中信彦以来となる三冠王を目指すヤクルト・村上宗隆この記事に関連する写真を見る 村上は高卒2年目の2019年に36本塁打を放ち新人王を獲得すると、昨年は39本塁打で初のタイトルを獲得。昨シーズンまでの4年間で104本塁打を記録するなど、球界を代表する4番打者に成長した。一方の清宮はプロ4年間で21本塁打。なぜこれほどにも差が開いてしまったのか。
ヤクルト、西武で7年間指揮を執り、4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた広岡達朗は、このふたりについてこう語る。
清宮が違う球団に入っていたら...
「選手は入った球団によって野球人生が決まると言っても過言ではない。村上は当時ヘッドコーチだった宮本慎也と出会って鍛えられた。新人選手というのは、模範となるベテランの技を盗み、心血注いで指導してくれる本物のコーチ、監督のアドバイスを聞いて自分なりに咀嚼し、成長するものだ」
ルーキーイヤーにコーチだった宮本がテイクバックの浅さが気になり指摘したが、村上は聞き入れなかった。そこから宮本は鬼となって厳しく指導した。二軍では打てるが、一軍の投手のストレートや変化球の見極めに苦労していくと、徐々に村上のテイクバックは深くなっていき、スイングスピードも速くなっていった。
「村上の努力は大したもの。4番としてホームランを量産し、3割も打っている。巨人の岡本和真とは全然違う。でも、まだ本物の4番にはなっていない。バッターボックス内で睨みがきいていない」
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