高木豊が語る古葉竹識が「名将」たる所以と、広島時代からの「チーム古葉」のすごさ (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――生活のなかで何かを制限されたり、管理されることもあった?

高木 管理されているという感じではなかったですね。ただ、試合の約3時間と、その前の練習の時だけは「野球に集中しろ」という感じでした。

――高木さんが考える、古葉さんが名将と呼ばれる理由は?

高木 やはり実績ですよ。大洋時代は僕らの力不足もあって結果を残せませんでしたが(3年間で5位、4位、6位)、広島時代は11年間でリーグ優勝を4回、日本一にも3回輝いています。監督の勝利数でも900勝近くしていますし(歴代15位の873勝)、間違いなく名将ですよね。

 あと、慶彦さんをスイッチヒッターとして成功させ、それを模範に山崎と正田もスイッチヒッターとして育てました。木下富雄さんを代打や代走、守備固めで起用したりだとか、いろいろなことを"手作り"でやった。育てながら勝ったという意味でも名将だと思います。

 ただ、僕は古葉監督より前に大洋の指揮を執った関根潤三さん(1982~1984年)も名将だと思っています。名将と呼ばれない理由は、やはり勝てていないから(大洋で3年間、ヤクルトで3年間、計6年間監督を務め、通算331勝)。でも、関根さんは多くの選手を育てた人ですし、そういう人も名将なんじゃないかなと思います。

――古葉さんを、野球界に限定せずに今の社会における「上司」として考えた場合、どうなると思いますか?

高木 古葉さんは広島時代には鉄拳制裁もあった方ですが、それは愛情があってのもの。憎くてやったことは一度もないと思うし、「選手にうまくなってもらいたい」とか、そういう気持ちの表れだったと思うんです。

 そのあたりは今の人たちだと理解できないでしょうし、社会的に許されないでしょう。古葉さんは言葉もうまい人だったのになんで手が出たんだろう、とは思いますけどね。

――言葉巧みな印象もあった?

高木 そうですね。もの静かで柔らかい話し方をされますし、知的な部分もありました。僕が接していた時の印象としては知的なほうが多いかな。いずれにせよ、激しい面と知的な面の両方を持っていた方です。

 それと、頼ると何でも応えてくれる方でしたね。自分の人脈はもちろん、他の人の人脈を使ってでも、困っている人を助けようとか、希望を叶えてあげようとか、とにかく面倒見がよかったです。そういう観点から見ると、頼れる上司なんだと思います。

(連載5:高校を中退して阪急の「練習生」になった松永浩美が、キャンプで場外弾を連発。上田利治監督も「また、いったぞ!」と驚いた>>)

元プロ野球選手のYouTuberのパイオニア

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