「今さら言いなりになるのもダセえなって」。愛と雑草魂と直球を武器に日本ハム・吉田輝星が4年目に挑む (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koike Yoshihiro

 ノリはヒップホップ、憧れはヤンキー系の農業高校生。「投げて落ちたらカッコいい」からと坊主頭に潰した帽子を乗せる。マウンドに上がればシャキーンと侍ポーズ、勝てば衒いもなく全力校歌。平成最後の甲子園で、旋風のど真ん中にいたのはどこまでも泥臭い農業高校生だった。

「高校球児らしいといえば高校球児らしいっしょ。高校時代は自分らが強いということを見せたかったし、ギラギラしたかった。今、考えれば全員で揃えた五厘刈りもカッコよかったと思うし、今でも全力校歌、歌えますよ。そんなことを気にしない、大きい心を持っている人って、カッコいいじゃないっスか」

 高校時代の吉田は、秋田大会の初戦となる秋田北鷹との試合で150キロを叩き出した。決勝までの5試合のうち、7回コールドで完封した準々決勝の秋田商戦を除く4試合で2ケタ奪三振を記録。大会注目の右腕として乗り込んだ夏の甲子園では"カナノウ旋風"を巻き起こした。

 2回戦の大垣日大戦では「ショートバウンドになるのかなと思うボールがグーっと伸びて、キャッチャーが捕り損なう快感(笑)」を味わうほどのボールを投げた。3回戦の横浜との試合では、9回になった160球目に150キロのストレートを投げて、底知れぬ力を見せつけた。吉田はこう言っている。

「秋田北鷹戦の150キロは出そうと思って、無理やり思いっ切り投げて出したんスけど、横高の時は8回までに140球も投げていて、140キロが出るか出ないかという疲れた状態だったんです。でも、そのおかげでムダのないフォームになっていたんでしょうね。リリースのところだけ力を入れて踏ん張ったら150キロが出ました。

 秋田大会からひとりで投げてきて球数もいっぱい投げましたけど(甲子園で881球、秋田大会からだと1571球)、思ったのは、今までの努力がムダじゃなかったということ。自分、努力が報われたのは初めてだったんで、あのくらいやって初めて現実になるんだなという喜びを実感できたことは大きかったと思います」

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