「調子がよかったら10割打つのでは、というイメージ」谷繁元信が対決を楽しんだ6人の日本人バッター (3ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Jiji Photo

 谷繁氏が捕手として対戦する時、特に「面白い」と感じたのが阿部、金本というふたりの左打者だった。

「読み合いです。初球から打ってこないんですよ、そのふたりは。1球ごとに、お互いが次からの球を読みながらやる。僕が向こうの読みを外そうとしながら、逆にこっちの狙いを外されながら、という駆け引きがあったふたりですね」

 世界記録の1492連続試合フルイニング出場を樹立した金本は、2004年に打点王、2005年にはMVPを受賞した。2000年代から巨人の正捕手として8度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた阿部は、2012年に首位打者と打点王の二冠に輝き、MVPに選出されている。長らくセ・リーグの顔として活躍したふたりは、駆け引きに長けた強打者だった。

 一方、プロ野球史上でも有数の頭脳派捕手だった古田は、打者としては金本、阿部とは異なるタイプだったと谷繁氏は振り返る。

「古田さんは、自分が狙っているところに投げさせようと仕向けていくんですよね。たとえば、この場面ではこの球から入ってくるだろうという状況で、裏をかいて違う球で行くと、その球を待っていたりする。『やられた、そっちか』みたいに思わされるのが古田さんでした。バッターとしての技術も高かったですしね」

 立命館大学、トヨタ自動車を経て1989年ドラフト2位でヤクルトに入団した古田は、捕手として史上最多となる通算8度のシーズン打率3割を記録。2年目の 1991年には打率.340で首位打者に輝いた。

 対して、打力を活かすために捕手から一塁手や三塁手にコンバートされ、才能を開花させたのが小笠原だった。日本ハム時代の2002年から2年続けて首位打者を獲得すると、2006年には本塁打、打点の二冠に。そうしてMVPを受賞すると、巨人に移籍した翌年も同じ栄誉に輝き、史上初となる「リーグをまたいでの2年連続MVP」に選ばれた。

"ガッツ"のニックネームで親しまれた小笠原の打棒は、谷繁氏の脳裏に鮮明に刻まれている。

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