ロッテ佐々木千隼「心が折れた時なんて何回もあった」。期待のドラ1が5年目の覚醒→初の球宴へ (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

 このまま自分は終わってしまうのか――。佐々木は何度も自問自答したに違いない。だが、佐々木はもがき続けた。

「結局、やるしかなかった。今、自分が持ってるもので勝負するしかないので」

 佐々木がまず取り組んだのは、「ボーダーラインを下げる」ことだった。

「昔のボールを投げられなくて、改善したいところはいっぱいありました。でも、それを全部改善しようとしたら、もっともっと自分を追い込んでしまう。気持ちが沈んでしまったら、余裕がなくなって何をやったらいいかわからなくなってしまいます。だから『こんな球しか投げられない』と自分を許せなくなるボーダーラインを下げました。『これくらいならいいか』と許容範囲を広げたんです」

 たとえ球速が出なくても、抑える術(すべ)はある。佐々木はまず、自分の投球フォームを見直した。

 大学時代と今の投球フォームを見比べると、その力感の違いは一目瞭然。力感のあった大学時代から一転、今はまるで軽いキャッチボールでもするような脱力したフォームになっている。

「力感なく、フォームと投げるボールのギャップが少しでも大きくなればいいと考えています」

 よく、「リリースにかけてゼロから100まで持っていく」と脱力の感覚を語る投手がいる。だが、佐々木は「リリースでも力を入れたくない」と言う。打者からすれば、佐々木の力の入れどころがわからず、タイミングが取りにくくなる。

 2020年に入団した佐々木朗希など、毎年新たな大物ルーキーが入団するたびに佐々木千隼の存在感は薄くなっていった。プロ1年目には常に群がっていたメディアも、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。だが、佐々木は「むしろラクでしたね」と語り、こう続けた。

「ことあるごとに誇張して取り上げられるのが、すごくイヤだったので......」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る