江川卓の指名と田淵×真弓トレードの真実。「根本陸夫の右腕」が激白 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 オーナーの中村長芳に問うと、「いや、江川行くよ」という回答だった。だが、断念するしかない現実問題があることを、浦田は独自の調査でつかんでいた。伝えると、中村も一度は断念しかけたが、結局、江川指名に踏み切った。ドラフトの精神を守り、不当な巨人入りを阻止するための強行。浦田の頭のなかでは「パ・リーグの灯」が響いていた。

「終わってからすぐ、根本さんとふたりで江川のとこに挨拶に行ったんです。法政大学の合宿所にね。根本さん、法政の先輩ですから。ただ、その時は『悪いけども、江川は獲れないですから、口出ししちゃダメですよ。挨拶だけにしてください』ってお願いしました。変に口出しして、根本さんの責任になったらいかんから。僕が責任を取るということで」

 監督とはいえスカウト経験があり、交渉事に長け、「寝業師」と呼ばれた根本の言動をあえて制限する。普通ならあり得ない、と思えるが、獲れないとわかっている特別な選手。浦田とすれば、チーフスカウトとして当然の行動だった。根本は「わかった」と受け容れた。

「スカウト歴は僕のほうが長いんです。その時で7年していましたけど、根本さんは2〜3年しかしていません。だからだと思います。スカウティングのことで何やかや言われたことは一度もないし、江川の時もすぐわかってくれた。新人補強については全部、信用してくれました」

 12月3日、江川本人による「入団拒否」が正式に発表された。一方、根本を尊敬する浦田が、根本から信用される関係性がここに生まれた。ところが翌78年2月のキャンプイン早々、不測の事態が起きて関係性も急変する。投手コーチの江田孝が脳卒中で倒れ、54歳にして急逝したのだ。根本が近鉄のコーチだった時のスカウトという間柄で親交も厚い野球人だった。

「江田さんは前の年で辞める予定だったんですが、根本さんのたっての希望で残留したんです。だから相当にショックを受けていました。でも、チームは前に進まないといかん、ということで、お通夜のあと、『おまえが手伝え』と根本さんに言われまして」

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