2020.11.08

わざと振り遅れてホームラン。
「プロ最年少の四番打者」が考えた極意

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 精悍な顔に照れ笑いが浮かぶ。どこか振り返ることが楽しそうな感じもある。オープン戦とはいえ、4番を打つにあたり、別当監督から直々に話はあったのだろうか。

「ありました。『近鉄いうのは、近い鉄、と書くんやけど、チカテツ、地下鉄や。いつもAクラスに入らんと、べったばっかりで地下に潜っとる。そういう形で選手がぬるま湯に浸かってるんじゃないか』と。だから一回、若手を生かしてドッと活気づける、ということで『やれ!』と」

「べった」とは関西の方言で、ビリ、最下位のこと。当時の近鉄は球団創立以来、「万年最下位」といわれるほど低迷していた。だからこそ、刺激剤としての大抜擢だったようだ。

「勝てば祝い酒、負ければヤケ酒、そんなチームでしたからね。ベテラン連中が非常に多くて、これではいつまでたっても負ける状態いうことで、『土井を4番で出す!』と」

 気になるのは、それまでのポジションを奪われた選手、チームメイトの反応だ。公式戦では4番起用がなくとも3番が1試合、5番が15試合。それ以外は6番、7番で同年131試合中129試合、前年は一軍で実績のない18歳がスタメンで出続けたのだから。

「いやあ! そらもう、きつかったですね、ハイ。周りの反応は本当にきつかった。結局、先輩からやられますよね。今まで中軸を打ってた人からもやられるし、ボクのために1人、線上スレスレの人が落ちるっていうのもあるし。ボクは外野手だから外野守ってる人もそう。そのへんのことは気にしましたし、相当のプレッシャーがかかりましたよ」

 声のトーンが上がり、大きく息を吐き出しながら強く顔がしかめられていた。そのシーズン、62年の土井さんの成績は打率.231で5本塁打、43打点。500打席に立って規定に達したのは監督の期待の現れだろうが、129試合はチームトップの出場数。それを考えると、物足りない数字に見えてしまう。

「あの当時、一球団に30勝ぐらいするピッチャーが1人、2人いてましたので。その人らはやっぱり、並大抵では打たしてくれませんからね。エッヘッヘ。それでも打っていかなアカンけど打てない。そしたらものすごい野次ですよね。『オマエが打たんから〜!』とワアワアやられる。体力的には参らなかったんですけど、精神的にやられましたよね」