松永浩美から小久保裕紀、内川聖一へ。根本陸夫が仕組んだリーダー継承 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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「留守を預かっているという人が出て、『実家に戻っているが夜には帰る』ということだったよ。駒田はもともと、外野をやっていて一塁も守れる。獲得できれば、ゆっくり外国人選手を選べるんだけどな」

 結局、駒田は横浜(現・DeNA)に移籍したが、根本は補強に貪欲だった。監督として1年間チームを見てきて、"同好会野球"から優勝を目指す方向に転換するには、主力選手を変えるしかないと感じたからである。そこで松永、秋山を獲ったわけだが、翌94年2月のダイエー高知キャンプ。第1クールの4日間が終わると、根本は松永を監督室に呼んだ。

「マツ、どう?」

「うーん。まあ......」

「いいんだよ、正直に言ってもらって。マツが思ったことを言ってくれたらいいから」

「本当にいいですか? とんでもないこと言っても、大丈夫ですか?」

「何でも、受け入れるから大丈夫だ」

「このチーム、キャンプは遊びですね。勝つということを考えていませんよ」

「どこでそう思った?」

「ミスすること前提のプレーしかやってませんもんね、ここは。誰かがミスするから、誰かがカバーする、っていうような野球しかやってませんよ」

「そこなんだよね。勝てるチームじゃないんだよ。それを言ってほしいんだよね」

 一選手の意見を全面的に受け入れる──こんな監督は過去にいない、と松永は思った。そこで「本当に言っていいんですね?」と確認を取り、チームの投手陣と内野手たちに積極的に伝えていった。

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