「代打・長嶋茂雄」の超サプライズ。西本聖の引退試合で起きたドラマ

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

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日本プロ野球名シーン
「忘れられないあの投球」
第2回 巨人・西本聖
有志主催による引退試合(1995年)

 おそらく、あの時のストレートは100キロにも満たなかっただろう。プロで20年、504試合に登板して165勝を挙げてきたピッチャーが立った、現役最後のマウンド。記録には残らない、しかし記憶には鮮烈に刻まれたその"1球"を投げた舞台は、彼が若い頃、汗と涙にまみれた思い出深い多摩川グラウンドだった。

 1995年1月21日。

 よく晴れた、寒風吹きすさぶ多摩川グラウンドに球音が響き渡った。約3000人の野球好きが見つめるなか、西本聖が投げて長嶋茂雄が打つ――そんな夢のような対決が実現したのである。

多摩川グラウンドで行なわれた西本聖の引退試合多摩川グラウンドで行なわれた西本聖の引退試合 この日、多摩川で行なわれたのは西本の引退試合だった。といっても巨人が主催したわけではなく、有志がつくり上げた手弁当のイベントだ。当時、西本を取材していたテレビ局の若いディレクターやアナウンサー、スポーツライターたちが、何とか西本を送る舞台をつくろうと奔走したのである。沢村賞まで獲得している大投手の引退試合がなぜ手弁当でなければならなかったのか......それは歴史的な"10.8決戦"と関係があった。

 1994年10月8日、ともに最終戦となる巨人と中日の直接対決、勝ったほうが優勝という球史に残る大一番がナゴヤ球場で行なわれた。

 じつはこの年、長嶋茂雄監督を慕ってひとりのベテラン投手が巨人へ復帰していた。実績がありながら、キャンプでは背番号のないユニフォームを着てテストを受けた西本である。彼は合格後、背番号90を託された。第1次政権の監督だった時の長嶋が背負っていた特別な番号だ。育ててもらった長嶋への熱い想いがあったからこそ、西本は90番を見て涙した。

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