ホークスに高谷裕亮が欠かせない理由。たしかな技術と抜群のコミュ力 (2ページ目)

  • 安部昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Koike Yoshihiro

 当時、大学4年生の高谷は、すでに"25歳"になっていた。小山北桜高校(栃木)を卒業してから2年間、高谷は社会人野球の強豪・富士重工に勤務し、プレーしていた。

「自分、高校では"園芸科"だったんですよ」

 小山北桜高校は1996年に今の名に改称されたが、以前は小山園芸高校だった。

「社会人ではケガばかりで野球にならなくて......実家が造園業だったので、植木職人になろうかと思った時期もあったんです」

 だが、不完全燃焼だった野球への思いは冷めず、「本気で出直す気があるなら」と白鴎大から声をかけてもらい、再び野球への道が開けることになった。

「ソフトバンクに3位で指名してもらった時は、もう25歳。普通の大学4年生より3つも歳を食っていましたから、もう待ったなしですよ」

 そこから昨年までの13年間、田上秀則、細川亨、鶴岡慎也、そして甲斐拓也......レギュラーでマスクを被る選手たちの"スーパーサブ"として、チームにとって欠かせない存在となった。

 ソフトバンクの宮崎キャンプのブルペン。入れ替わり立ち替わり、球界を代表する剛腕、快腕たちがマウンドに上がり、生きのいいボールを投げまくる。

 レギュラーマスクを被る甲斐ですら、グラッと揺らぐことのある"捕球の一瞬"に、高谷のキャッチングには構えるミットに迷いがなく、上体の揺らぎも一切ない。

「同じ配球なのに、高谷さんだと打たれない......」

 ある投手がそうつぶやいたことがあった。

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