2020.01.16

「母国に帰れなくなった助っ人」は、
なぜプロ野球で成功できたのか?

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 話すほどに声のトーンが上がり、顔をくしゃくしゃにして笑う。つらかった話をここまで明るく話す方は滅多にいないと思うが、つらさはチームのキャンプに合流した後も変わらなかった。

「みんな雪のなかで練習やってた。なんでこんな寒いなかやってるの? と思ったよ。ボクは走っても寒いから、火の横ばっかりしかおらへん。だからある日、キャンプ終わって明石で試合やったとき、ボク、セカンド守っててライナーきた。捕ろうとしたら腕が上がんない、寒くて。あれ、真っ正面きたら、おそらく顔当たってたと思う。とにかく動かない。それがいちばん印象に残ってるわ」

 ごく普通に会話できているのでつい忘れてしまう。バルボンさんの母国キューバの公用語はスペイン語だ。マイナー時代に英語を習得したそうだが、きっと来日当時は言葉の面で苦労したはずだ。

「あの当時、通訳なしや。はじめ、名前のこと聞かれたんやな。ロベルトか、バルボンか、どっちや、言われたから、『チコ』と呼んでくれ、言うたんや。日本で男の子は『太郎』、女の子は『花子』いうのあるわな。それと同じ。キューバで男の子ならチコ、女の子ならチカや」

 外国人自体が珍しい時代ながら、阪急にはそれ以前にも助っ人が加入していた。温かく迎え入れる空気があったと推察できる。一方、セカンドとして二遊間のコミュニケーションはどうだったのか。

「はじめ、ショートは河野旭輝(こうの あきてる)さんで、その後は本屋敷錦吾(もとやしき きんご)ね。野球の会話はだいたい一緒やから困ったことはないよ。ただ、あの頃、ガイジンはボクひとりやった。スペイン語はもちろん、英語しゃべれる選手、誰もおらへんかった。朝から晩まで日本語ばっかり聞いとったわけや。だから、そのうち理解したんとちゃうか? 毎日ずーっと同じ言葉聞いたらな、ある程度、慣れるわな」

 入団から7年間、阪急にはバルボンさん以外の外国人野手がいなかった。日本語に慣れないと仕方がない環境があり、必然的にチームに溶け込むことになったのだ。

「ワタシ、今も日本語うまくないけど、それがなかったらずーっとしゃべれなかったと思うわな。それでも1年目に165安打打って、得点王になって。寒い、寒いって文句言いながら、何とかな」