秋山幸二が日本一を決めた犠牲フライ。古田と岡林の配球を読んでいた (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――結果的に秋山さんの打球はセンターフライとなって、決勝点が入りました。このときはどのような心境なのでしょうか?

秋山 この時点でもまだ石井(丈裕)がマウンドにいたから、「これで勝ったな」と思っていましたよ。僕はセンターだったので、石井のボールはよく見えていましたからね。と同時に「このまま終わってくれ。このまま終われば優秀選手賞ぐらいはもらえるかな?」って考えていたんじゃないかな? 結局は何ももらえなかったんですけど(笑)。

 長らく、黄金期の西武の主軸を担った秋山 photo by Sankei Visual 長らく、黄金期の西武の主軸を担った秋山 photo by Sankei Visual――あらためて、この2年間をどのように振り返りますか?

秋山 後に監督を務めた経験で言えば、この時の僕はまだまだ足りない。「もっと野球を勉強しなさいよ」と言いたいですね(笑)。

――これもみなさんに聞いているのですが、両チームの対戦は2年間通算で全14試合を戦って7勝7敗で、共に日本一に一度ずつ輝いています。果たして決着は着いたのでしょうか?

秋山 たぶん、両チームの力はそんなに変わらないんですよ。短期決戦というのは、ひとりの選手の調子や、たったひとつのプレーで大きく変わるんです。ひとつのミスがあれば負けるし、ひとつのファインプレーがあれば勝てる。それで流れが大きく変わるし、結果も変わってくる。そういう意味では、どっちにもチャンスがあったし、どっちも強かったんですよ。紙一重の差で試合が決まるのが短期決戦ですから。

――だからこそ、この2年間の両チームの激闘は、今もなお語り継がれる日本シリーズとなったんでしょうね。

秋山 ともに4勝3敗で日本一になったということは、本当にいい勝負をしたんだと思います。そして、ともによく似たチームだったんだと思います。西武もヤクルトも、どちらもいいチームで、どちらも強いチームだったんだと思いますね。

(池山隆寛の証言につづく)

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