借金返済のためプロ野球に「転職」。酒豪打者・永淵洋三の数奇な人生
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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第4回 永淵洋三・前編 (第1回から読む>>)
平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしている。だが、その時代のプロ野球には魅力的な選手たちがたくさんいて、ファンを楽しませていた。
過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。漫画『あぶさん』のモデルのひとりであり、"酒豪打者"として知られる永淵洋三さんからは、今の常識では考えられないような驚くべきエピソードの数々が語られていた。
1969年、ホームランを打つ永淵さん。小さな体を大きくひねる豪快なフォーム(写真=共同通信)
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JR佐賀駅から乗ったタクシーの運転手は、「あぶさん」という店名も、永淵洋三さんのことも心得ていた。2013年9月、僕はその野球人の店を訪ねた。
永淵さんは1942年に佐賀に生まれ、佐賀高(現・佐賀西高)では左腕エース。卒業後は社会人の東芝で7年間プレーし、68年、ドラフト2位で近鉄に入団すると左の強打者として活躍。12年間で現役を退いたあと、地元で『やきとり あぶさん』を営んでいる(※2018年に閉店)。
5分も乗らないうちに車は店の前に横付けされ、約束の12時より15分も早く着いたが、店舗に隣接した家屋の前で永淵さんが出迎えてくれた。選手時代の写真で最も印象的な大きい目の鋭さは眼鏡にかくれ、強気で豪気だったという性格も想像がつかない。
「開幕の頃はしょっちゅう取材受けましたよ。大谷のことでね。いや、ここまでわざわざ来た人は1人、2人、ほとんど電話です。今でもたまにかかってきますよ」
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