2019.07.23

愛甲猛が証言。球界の革命児が
オヤジと呼んだ本物のフィクサーの存在

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

根本陸夫外伝~証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第1回

証言者・愛甲猛(1)

 根本陸夫――1950年代、近鉄の捕手だった現役時代は、実働わずか4年で輝かしい実績もない。それが引退後にスカウト、コーチで経験を積み、1968年から広島の監督。のちの”赤ヘル軍団”カープの基礎を固め、1979年からは西武の監督および管理部長(GM)として王国をつくり上げると、1993年から移ったダイエー(現・ソフトバンク)でもチーム強化に尽力した。

 その辣腕ぶりから「球界の寝業師」とも呼ばれ、とくに有望新人獲得の手段をめぐっては、球界内で問題になることもあった。だが、いずれも前身球団から低迷していたライオンズとホークス、2つのチームに実力と人気をもたらし、パ・リーグひいては球界全体を好転させたという意味で、根本は「日本プロ野球に革命を起こした男」と言えるだろう。

 1999年1月、根本はダイエーの球団社長へと上り詰めたが、同年4月に72歳で急逝している。しかし、根本の”遺産”は時を経て風化するどころか、今でも確かな影響を球界に与えている。

 スポルティーバでは2014年に『根本陸夫伝~証言で綴る球界の革命児の真実』という連載を開始し、2016年にはこれを一冊にまとめた『根本陸夫伝~プロ野球のすべてを知っていた男』が上梓された。だが、根本陸夫の知られざる真実はまだ尽きることがない。

 そこで『根本陸夫外伝~証言で綴る球界の革命児の知られざる真実』と題して、新たに連載を始めたいと思う。最初に登場いただくのは”球界の野良犬”こと愛甲猛氏。チームも違うふたりを結んだ意外な人物とは?

根本陸夫が「オヤジ」と呼んでいた幅敏宏氏と親交があった愛甲猛氏 1994年のシーズン中、6月の半ばだった。千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)でのロッテ対ダイエー(現・ソフトバンク)戦は試合前から雨となり、室内での練習中に中止が決まった。ロッテの練習が終わり、入れ替わりでダイエーナインが入ってきた時のことだ。愛甲猛がロッカーへ向かって歩き始めると、すれ違いざま、目が合って呼び止められた。

「お前、まだ投げられるか? ピッチャーできんだろ?」

 ダイエー監督の根本陸夫だった。室内練習場でなければこんな鉢合わせもなく、唐突に聞かれて驚いた愛甲だったが、とっさに答えていた。