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悲劇の死! 元横浜の助っ人は
村田修一の心配をしていた「いいヤツ」 (3ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

「日本の思い出? いろんなところでプレーしてきたこともあって、あまり覚えてないんだよね。そうそう、ムラタっていう選手はどうしてる? 彼のことはよく覚えているよ」

 はからずも、元チームメイトで同い年のベテラン・村田修一の名前が飛び出した。今季(2017年)はまだ現役でプレーしていたし、来季も現役を続けるだろうと答えると、嬉しそうにうんうんと頷いた。

 カスティーヨのように、プレーできる場所があればどこへでも行くという選手もいれば、これまでの経験を伝えようと、母国に帰ってプレーを続けている者もいる。

 オランダ・ロッテルダム。今や欧州一の強豪といっていいキュラソー・ネプチューンズの本拠地、ファミリー・スタディオンは、この国で一番の野球場だ。中央駅から路面電車に乗り10分ほど。いかにもオランダという街並みを離れ、モスクが立ち並ぶムスリム地区を抜けると球場にたどり着く。

 グラウンドでプレーする選手や観客のほとんどはカリビアンだ。数カ月前にオランダにやって来たというドミニカの選手と地元の観客の英語での会話を聞きながら試合を眺めていると、突然、日本語のあいさつが聞こえてきた。

 声の主は、ルーク・ファンミル。2014年に1シーズンだけ楽天でプレーした投手だ。日本では7試合だけの登板で、0勝1敗という成績に終わったが、日本プロ野球史上最長身となる216センチの上背を生かした最速152キロの速球が印象に残る投手だった。また、オランダ本土出身としては初の日本プロ野球選手としても話題になった。

 彼が日本でプレーするきっかけとなったのが、2013年に開催されたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)だ。この大会でオランダは初のベスト4に進出するなど、台風の目となったが、「オランダ強し」を印象づけたのが東京ドームで行なわれたキューバ戦の連勝だった。

 ファンミルは2試合ともマウンドに上り、粗削りながら力強いストレートでキューバ打線を圧倒していた。そのときの話をすると、ファンミルは日本語で「ハヤイネ」と笑顔で返してきた。

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