石毛宏典も打席でイラっ。打倒・西武へ野村監督は用意周到だった (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文・撮影 text & photo by Hasegawa Shoichi

1993年日本シリーズ初戦のデッドボール

――1993年の日本シリーズ初戦は当時の西武球場。ヤクルトの先発は荒木大輔投手でした。荒木さんにはどんな印象を持っていましたか?

石毛 やっぱり、「甲子園の大スター」という印象ですよ(笑)。故障明けで、全盛期と比べればだいぶ力は落ちていたのかもしれないけど、抑えるためにインコースを数多く攻める投手という印象ですね。

――その初回、いきなり波乱が起きます。1番・辻発彦選手がいきなり死球。2番・平野謙選手が送って1アウト2塁。ここで打席に入ったのが、3番の石毛さんでした。

石毛 ここでデッドボールをもらったんだよね。「どうなの?」って言いたくなるよ。あれは「インコースを攻めろ」というベンチの指示だったんでしょうけど。そのときは右手に当たったんですが、このデッドボールが原因で、その後の送球に影響が出るんです。

――打撃への影響は何かありましたか?

石毛 スイングはできたけど、ボールが投げられないから送球エラーしてしまった。右手の腱にボールが当たって握力に影響が出たのか、ボールをうまく支えることができなくてすっぽ抜けちゃったんです。

第一打席のデッドボールについて語る石毛氏第一打席のデッドボールについて語る石毛氏――この試合は6回の打席が終わった後に、ベンチに退いています。さらに第4戦では欠場しますが、これも死球の影響で自分から申し出たのですか?

石毛 そうですね。確か「ボールが投げられません」って、自分から言ったような気がします。第4戦もその影響です。シリーズを通じて痛みが続いていたから。ペナント中だってほとんど休まないし、日本シリーズならなおさら、自分から休むなんて考えられないことなんだけど。その後も影響が出て、僕は今でもきちんとペンが握れないんです。・・・・・・あれ? この年、もうひとつ西村(龍次)にも当てられていますよね?

――はい。まさに、それも伺いたかったんですが、ライオンズの2勝3敗で迎えた第6戦では、スワローズ先発の西村投手から死球を受けています。さすがに腹が立ったのでは?

石毛 別に腹は立たないけど、「徹底的にインコースを攻めてくるな」とは思いましたね。大輔も西村もそう。この年は川崎憲次郎もシュートで強気に内角を攻めてきていた。オレはそれほど気にしてはいなかったけど、清原(和博)や秋山(幸二)はかなりインコースを意識させられていたと思いますね。

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