日本一から最下位への転身。鬼軍曹・鳥越コーチはジョークから始めた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sportiva

 知ることの第一歩は、"監督の野球"だった。井口と鳥越の出会いは、1993年、日米大学野球のオールジャパンメンバーに選ばれた当時まで遡(さかのぼ)る。

 青山学院大1年の井口に対し、鳥越は明治大4年で3つ年上だった。そして同年のドラフト、鳥越は中日を逆指名して2位で入団。井口は96年ドラフトでダイエー(現ソフトバンク)を逆指名して1位で入団すると、99年のシーズン途中、鳥越が中日から移籍してチームメイトとなった。2001年から3年間は二塁・井口、遊撃・鳥越でコンビを組んだとあって、監督・コーチの関係でも"阿吽(あうん)の呼吸"が生かされるのではないか。

「いやもう、彼はメジャーリーガーですからね。でも、あの、ホワイトソックス時代にショート守っていたホアン・ウリベ? 彼よりはいいコンビでいけると思ってるんで(笑)。去年、監督から直に口説かれたとき、周りの何人かに相談したらほぼほぼ反対されたんですが、僕は決めていました。まあ、自分の野球人生で、千葉で野球するとは思ってなかったですけど......。九州の人間で、福岡出るとなって大変でしたけど、監督が何を目指すのか。まずそこを知ってからですね」

 監督就任に当たり、井口は「機動力を生かした"1点を取る野球"」を掲げた一方、「コミュニケーション重視のチームづくり」も掲げた。監督自ら選手としっかり対話できるほうがいい、という考えを持つ。

 反対に、選手との対話は必要最低限にとどめる指揮官もいるし、井口のような方針であっても、ときには直に言わず、間にひとり入ったほうがいいケースもあるだろう。それはヘッドコーチの役割のひとつでもあるが、鳥越はいかにして選手とコミュニケーションを取るのかを最優先した。

「選手のことを知るために、キャンプでは冗談を言うことから始めました。鬼じゃないけど、どうしても怖いイメージがあるんでしょうから、自分の人となりをさらけ出すことから始めて。朝ご飯のときからグラウンドでも、積極的に声をかけましたね。僕は技術よりもまず人だと思ってるんで、性格を知らないとアプローチできません。だから、冗談を言ったときに、どんな表情するのかな......と。あっ、コイツはノッてくるんだ、コイツは声をかけられると引くな、とか」

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