巨人ドラ1からの遠回り。日ハム村田透が10年目の初勝利に至るまで

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Kyodo News

 いつ話を聞いても、この男は常に淡々と、言い換えれば無表情に答えていた。だがこの日は、その表情が崩れ、頬には大粒の涙が伝わっていた。

 6月11日、札幌ドームでの日本ハム対巨人戦。試合後のお立ち台に立ったのは、村田透だった。巨人相手に5回1失点という堂々たる投球で手にしたのは、10年目、32歳にしてのプロ初勝利だった。

プロ初勝利を挙げ、ウイニングボールを手に栗山監督(右)とポーズをとる村田透プロ初勝利を挙げ、ウイニングボールを手に栗山監督(右)とポーズをとる村田透 この日、スタンドを埋めた4万人の観衆の多くは、この男がアメリカのマイナーリーグから加入したことは知っていても、53人目となる日本人メジャーリーガーであったことなど知らなかっただろう。ただ、日本では無名であったものの、彼がその称号を手にしたことに疑問はない。なぜなら、10年前の秋、村田はたしかに日本球界のエリートだったからだ。

 日本球界の頂点であるプロ野球。アマチュアの選手なら誰もが憧れる舞台だ。しかし、その重い扉をこじ開けることができる者は、ほんのわずかしかいない。しかも、各チームが三顧の礼をもって迎え入れるドラフト1位となれば、精鋭中の精鋭である。

 2007年のドラフトで、この年の目玉であった大場翔太(ソフトバンク→中日、2016年に現役引退)の「外れ」ではあったが、村田は巨人から1位指名を受けた。大阪体育大で大学日本一に輝いた実績を見れば、「ドラ1」の称号に不足はなかった。メディアは、大学の先輩でもあるエースピッチャーになぞらえて、村田を「上原浩治2世」ともてやはした。あのとき、村田の前に広がっていたのは、たしかに希望に満ちたキラキラした未来だった。

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