全治1年からの帰還。DeNA山崎憲晴ロングインタビューby村瀬秀信 (3ページ目)

  • 村瀬秀信●取材・文 text by Murase Hidenobu
  • 小池義弘●撮影 photo by Koike Yoshihiro

 そこまでのリスクを賭してでも、強い打球を放ち、飛距離も伸ばす180度真逆のスタイルに変更する決断。常に"チームの隙間を埋める"ことを存在意義にしてきた憲晴だからこそ、そこに捨て身の覚悟があったことが窺い知れる。

「ショートの選手に長打力が足りないから飛距離へいったわけじゃないですよ。僕自身"このままじゃ打てない"と限界を悟ったんです。2015年が野球人生で最悪のシーズンとなりましたからね。ただ、今思えば焦っていたことは事実としてあると思います。人間、自信がなくなったときほど周りが気になりますから」

 憲晴の違和感は、世間的には"レギュラーを獲った"と思われた2014年からはじまっていた。8月の中日戦、ファールフライを捕球する際に右足首を捻り亜脱臼と捻挫。しかし、その直前に"レギュラーの証(あかし)"として最大の目標にしていた規定打席に達していたため、足首をテーピングで固定しただけで誰にも告げず試合に出続けた。打撃の方は執念で8月の月間打率が3割を超えた。しかし、自身が最も重視してきた守備は簡単にごまかしが利くようなものではなかった。

「初めての規定打席だったので『足首が折れてでもやろう』と思っていたんですけどね。三遊間の打球に右足が踏ん張れなくなって、ファーストまで送球が届かない。あと一歩前で捕れる打球にチャージできない。気がつけば2ヵ月で9つのエラーを重ねていました。結局、僕は守備からリズムを作るタイプなんです。守備がおかしくなると打撃の方も次第に狂いだす。あの年の打撃も徐々に調子が悪くなって規定打席を割りましたし、自分のスタイルを見失ったままシーズンが終了してしまった」

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