「期待はずれのドラフト1位」は、なぜイタリア料理のシェフになったか (4ページ目)

  • 取材・文:元永知宏 Text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News


──プロ野球選手になってから、水尾さんは自分でルールを決めたそうですね。

「はい。それは、現役を引退したら絶対にプロ野球から離れることです。プロでは、コーチや裏方として球団に残りたいがために、自分を偽る人をたくさん見てきましたから。だからこそ、私は最後まで野球をやり切ろうと考えました。もし自分がアメリカでダメなら納得がいくと思ったのです」

──1995年に野茂英雄投手がロサンゼルス・ドジャースでデビューしたあと、多くの日本人メジャーリーガーが誕生しましたが、みんな日本で実績を残した実力者ばかり。日本でわずか7勝しかしてない35歳のメジャー入りは困難を極めたのでは。

「アメリカでの最初の3カ月は、観光ビザでトレーニングをしていました。知人を頼って球団にコンタクトをとってもらい、ビザが切れる直前になんとかトライアウトにこぎつけたのです。当時のアナハイム・エンゼルスのテストに合格、メジャー契約を結び、エンゼルスの下部組織(AAA)のソルトレイクで開幕を迎えました。

 アメリカで野球をするのは本当に楽しかった。唯一の誤算はソルトレイクの標高が高かったこと(1288メートル)。遠征先の敵地ではいいピッチングができるのですが、本拠地では体調が悪くて思うように動けません。それが高山病の症状だなんてことも知りませんでした」

──結局、メジャーリーグに昇格することはできず、2006年2月に引退します。

「最終的には、左ひじの手術を7回もしましたから。腰痛、首痛、手のしびれ......。もう満足できるボールを投げることはできませんでした」

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