あっ、デューシーだ。フロリダで「日本野球」を伝える元助っ人たち (3ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text & photo Asa Satoshi

 デューシーは出場機会を求めて95年に来日。そのとき、日本のプロ野球でスター街道をばく進していたのが、若き日のイチローだった。96年、オリックスは地元・神戸で2年連続となるリーグ優勝をイチローのサヨナラ二塁打で飾ったのだが、そのときレフトでその打球を処理したのがデューシーだった。

「そんなこともあったね。そのイチローが今、フロリダにいるんだから、なにか不思議な気がするね」

 日本を去ったあと、カナダにあったもうひとつのメジャーチーム、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)でメジャー復帰を果たし、2001年に現役を引退。その後、コーチ業を務めていたが、04年のアテネ五輪に際しては、現役復帰してカナダ代表チームに合流。日本との3位決定戦では代打で出場した。

 それからはカナダのナショナルチームのコーチとして活躍し、昨年秋に開催されたプレミア12でもベンチ入りしている。メジャーで13シーズン、日本で2シーズンを過ごした彼は、カナダ球界のレジェンド的存在で、13年には母国の野球殿堂入りを果たしている。

 現在51歳のデューシーは、現役の頃に比べて筋肉は落ち、その分、腹が突き出た印象だが、その姿はすっかり指導者としての貫禄がついていた。

「ここ(フィリーズ)では3年目。現役時代もこのチームでプレーしていたんでね。ここは有望な選手が多いので楽しんでやっているよ」

 そう語るデューシーは、心からコーチ業をエンジョイしているようで、積極的に若い選手に声をかけていた。

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