坪井智哉「死に場所を探しにアメリカに行ったんです」 (4ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

“笑っていればいつかいいことがある”。アメリカ生活の後半、かなり追い込まれていた坪井は、「笑え!笑え!」と自らに言い聞かせながら日々を耐え忍んだ。そんな坪井にチームメイトも気安くジョークを飛ばしてくるようになった。本場のアメリカンジョークというやつだ。

 ただ……不幸なことに、坪井は“お笑い”に関しても一家言を持っていた。

「いやぁ……面白くなかったなぁ。アメリカンジョークなんてホントしょうもない。笑顔のまま『何がおもろいねん』ってずっと思ってました。繊細さがないんですよ。もう雑、すべてが雑なんだよなぁ……。向こうでそういう場面に遭遇する度に、日本だったらこうするだろうなぁとか、日本食ってうまいよなぁ、日本のスイーツは繊細だよなぁ、なんて考えているんです」

 2014年7月、米独立リーグのランカスターからリリースされた坪井は、引退を決意する。

 野球人生の最後に、メジャーの1打席を目指してベースボールの母国・アメリカへとわたり、クーパーズタウンや、最初の試合が行なわれたエリシアン球場に立つこともできた。

 日本人のほとんどの人が知らない坪井のアメリカ生活。前年、故障した左肩にメスを入れてまで野球にしがみついたが、いいことなんてほとんどなかった。ここでの3年間の経験は坪井にとってどんな日々だったと総括するのか。
 
「うーん。まだわかりませんよ。人間なんて目の前のことしか見えていませんからね。答えが出るのは80歳、90歳になり、死ぬ間際となった時。『あの時のことが、悔いが残る……』って思わなければよかったんじゃないですかね。結局、辞めても辞めなくてもね。人生の長いスパンで見たらちっちゃなことなんですよ。アメリカに行ったことの意味、そんなん誰にも分かんなくていいんです。自分が納得できればいんです」

 2014年8月14日。坪井智哉、引退――。
 
 サンラファエル・パシフィックス (2012)~♪ ゲーリー・サウスショア・レイルキャッツ (2012)~♪ エディンバーグ・ロードランナーズ~(2013) ♪ (ランカスター・バーンストーマーズ!) つーぼーいー♪

最後の3年間はほとんどの人に知られることなく、坪井の野球人生は幕を閉じた。

(つづく)

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