1985年の再現。ロイヤルズが勝てば阪神も勝つ! (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 では、1985年の阪神とロイヤルズはどんなチームだったのか。阪神は、"伝説のバックスクリーン3連発"を成し遂げたランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンアップを中心に、リーグトップのチーム打率(.285)、本塁打数(291本)、得点(731点)をマークするなど、明らかに打線のチームだった。

 一方のロイヤルズは、この年、打率.335、30本塁打、112打点をマークしたジョージ・ブレッドというバースや掛布と同じ左打ちの強打者がいたが、基本的には投手力のチーム。ブレッド・セイバーヘーゲン(当時21歳)、チャーリー・レイブラント(当時29歳)、ダニー・ジャクソン(当時23歳)の若き三本柱に、セーブ王に輝いたクローザーのダン・クイゼンベリーを筆頭とした強力投手陣がウリだった。

 一見、対照的な両チームなのだが、実は1985年の阪神投手陣もロイヤルズの三本柱には遠く及ばないが、若き投手陣が躍動していたことをご存知だろうか。シーズン9勝をマークして日本シリーズの先発を任された池田親興(当時26歳)、初の2ケタとなる12勝をマークした中田良弘(当時26歳)、そして入団2年目の大型左腕・仲田幸司(当時21歳)の若手3人が強力打線をバックに奮闘した。さらにクローザーには初のセーブ王のタイトルを獲得した中西清起がいるなど、(絶対的なエースはいなかったけど)意外と似ているのである。

 そして阪神が日本シリーズで戦った西武、ロイヤルズがワールド・シリーズで戦ったカージナルスは、当時、磐石の戦力を誇っていた。西武は1982、83年と連続日本一を達成しており、この日本シリーズでも西武有利の声が大きかった。一方、カージナルスとロイヤルズの力関係は、アメリカのベースボールライター、ロジャー・エンジェル氏が当時書いた次の一文を見ればよくわかる。

「1985年のカージナルスは、あらゆる角度から見て、ロイヤルズより上と思われる攻撃力と守備力を備えていたが、常に投手力で優位に立つ強みが、若く成長の余地のあるチームにチャンピオンにふさわしい表情を与えることもあるのだ」

 つまり、阪神もロイヤルズも下馬評を覆(くつがえ)し、チャンピオンに輝いたというわけだ。しかも阪神は、第1戦で池田が完封し、第2戦もリッチ・ゲイル、福間納、中西のリレーで西武打線を1点に抑えるなど、打線ではなく、ロイヤルズと同じ投手力で優位に立ったのである。ちなみに、第2戦で好投したゲイルと、主砲のバースは、かつてロイヤルズの選手であったことも付け加えておきたい。

 それだけでない。両チームの指揮官にも、意外な共通点があった。阪神の吉田義男監督とロイヤルズのディック・ハウザー監督は現役時代、ともに小柄な遊撃手として活躍。また、ハウザー監督は世界一から2年後の1987年に51歳という若さでこの世を去ったのだが、彼が付けていた背番号「10」が永久欠番に。そして吉田監督は日本一から2年後の1987年に成績不振(最下位)を理由に監督を辞任するのだが、この時、"優勝の功労者"として吉田監督が現役時代に付けていた背番号「23」が阪神の永久欠番となったのだ。

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