2013.01.29

【プロ野球】藤浪晋太郎へ、元阪神ドラフト1位コンビからのエール

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

現在は大阪の寝屋川市で「まこと整骨院」の院長として多忙な日々を送っている萩原誠 ドラフト指名前から続いてきた藤浪晋太郎フィーバーに、「オレの時もこんな感じやったかなあ……」と当時を懐かしんだのが、1991年に阪神からドラフト1位指名を受けた萩原誠だった。阪神のドラフト史を振り返ると、今回の藤浪のように注目と期待を集めたドライチの高卒選手といえば、萩原に行きつく。ともに地元・大阪桐蔭高校出身で、甲子園で優勝した経験を持つ。萩原は、「ただ、僕と藤浪では力は全然違いますよ。僕は、本当は1位で入れるような選手じゃなかったのに、甲子園でたまたま打って、阪神ファンだったということで、そうした空気ができていっただけ」と笑ったが、高校球界のスター選手だったことは間違いない。

 1991年のセンバツで甲子園初出場を果たすと、連続出場となった夏は創部4年目にして全国制覇を達成。そのチームで4番に座り、甲子園で3本塁打を放ったのが萩原だった。この屈指のスラッガーを阪神はドラフト1位で指名し、入団が決まると、ミスタータイガース・掛布雅之がつけていた背番号31を用意して迎えた。

 当時チームは5年連続Bクラス、うち最下位が4回と低迷中。チームをはじめ、ファンもマスコミも高校通算58本塁打、待望のスター候補の入団に胸を膨らませた。しかし、その期待が苦しかった。

「いちばんしんどかったのは、ホームラン打者じゃないのに、甲子園の時と同じイメージで見られたことですね。高校時代は同じ大阪に中村紀洋(現・横浜DeNA)がいて、試合もしましたし、オール大阪としてオーストラリア遠征でも一緒になった。また、夏の甲子園では1学年下の松井(秀喜)と準決勝で対戦して、全日本でチームメイトにもなりました。彼らと一緒に練習して、こういうヤツらが本物のホームランバッターやと思い知らされて、自分はそういうタイプではないと痛感しました。でも、周りはそうは思ってくれなかった」